dazai

太宰のゆるゆる生活日記

差し伸べた手の行き場

 

 

 いくつかの家庭用洋式トイレがそうだと思うが、水を流すと上の方から手洗い用の水が出てくる。はじめその光景を見たとき、一体どこからこの水はやってきているのかと疑問視したとともに、排泄物と共に吸い込まれていく大量の水を見て「もしや」と、その水を汚らしく思ったことは今でも忘れられない。

 

 例外でなく、我が家のトイレもこのタイプだ。用を足した後、洗面所に行ってわざわざ手を洗わなくて済むので楽ちんである。

 

 ここで皆さんに問いたい。用を足した後、どのタイミングで流すのか。

 

 わたしは用を足してすぐに流したい。いつまでも汚らしい排泄物と空間を共にしたくはないからだ。いつまでもはびこらせていたら匂いが残っちゃうかもしれない。それは次の人にも迷惑であろう。自分の身体に栄養を与えてくれた出がらしたちと別れを惜しむそぶりも見せず、無慈悲にわたしはバーを引く。

 

 バーを引き、便器が大量の水で洗われる。鳴門海峡を彷彿とさせる渦を巻く(鳴門海峡は見たことない)。それと連動するかの如く、上からも手洗い用の水が流れ出す。

 

 渦巻く便器を眺めながら、ここからわたしは自分の衣服を整えはじめる。ちょうど本日着ている部屋着は、わたしが中学の頃から愛用しているものなので、かれこれ7,8年のつきあいになるだろうか。先日女優の綾瀬はるかさんが、パジャマを10年以上愛用していたことがネットニュースになっていたが、わたしの部屋着も10年は余裕で着ていけそうなくらい丈夫である。

 

 この部屋着が厄介であった。実はこれ、ツナギなのだ。

 

 ツナギということは上下が繋がっているというわけで、わたしは用を足すために毎回全裸にならざるを得ない状況になるのだが、まあそれはいい。ただ、これがボタン式だということが厄介なのだ。全てのボタンに手をかけていたらとても時間がかかってしまう。わたしは上の第一ボタン、調子に乗っていれば男子高校生並みに第二ボタンまで開けているが、それでもボタンをかけるのに時間がかかるという事実には変わりない。

 

 トイレの水だって永遠に流れているわけではない。便器の洗浄が終わったら、連動し手洗い用の水の流れだって終わる。

 

 今こうして文章に書き起こしている分にはわかっているのだが、わたしはなかなかの阿呆なので、いざ自分がトイレという箱の中に入っているとこの重大な事を忘れてしまい、のんきにつなぎに腕を通してボタンに手をかける。

 

 そして、差し伸べた手の行き場を失くしてしまうという悲劇に、今日も今日とて襲われているのであった。