dazai

太宰のゆるゆる生活日記

我が畏友

 

 

 大変恐縮なことに「文章を書くのが上手い」と褒められたり、「上手い文章を書くコツはあるか」と問われたりすることが、ほんのたまに、あったりする。ほんとにそんなことないのにそんなことを言われると、恐さで縮こまってしまいそうである。

 

 現に、前回の「ブログ1周年企画」で過去の記事を読み返してみたが、まあ酷い文章であった。目に余るものがあったので、実はこっそり手直しをしてしまった。

 

 また「なぜ出版業界を志したのか」と聞かれることもある。それに関してはぶっちゃけてしまうと、冒頭で書いたようなことを周囲から言われて、なんだかその気になっちゃっただけのことである。ちなみに読書は苦手とする。漫画の方が好き。

 

 世の中の文章が上手い人ランキングというものが存在するとしたならば、恐らく平均よりはちょっと上くらいかなってのが私のレベルであろう。

 

 小学生の頃、県内の詩のコンクールでなんだか良い賞を貰ってテレビで朗読させられたことから始まり、県内の作文・詩・短歌俳句の大会では毎回何かしらの部門で賞を貰った。その大会は中学生の部もあったので、中学生になってもなお、私は引き続き何かしらの賞に食い込み続けた。

 

 高校生にもなるとそんな大会などなくなり、初めて携帯を持った私はその執筆欲をSNSに捧げるようになった。

 

 先のツイートでも豪語したとおり、不良にいじめられたくないからという理由だけで進学した、地元では一番の進学校のクラスメイト達は皆こぞって頭が良かった。頭が良い人たちに囲まれて過ごした3年間は、私の12年の学生生活の中で最も楽しかった期間だと言っても過言では無い。

 

 話が通じない奴はたまにいたが、ほとんどの人は物分りが良く、そして面白かった。頭の良い人たちは頭の回転も早いのか、授業で覚えた用語やら公式やらを使ってめちゃくちゃ面白いことを言ったりする。ボキャブラリーの豊富さも魅力的であった。

 

 そんな人達の書く文章は面白いものが多く、先日久しぶりに引っ張り出してきた卒業文集や修学旅行記を読んで笑った。

 

 中でも私が一目置いていたのが、同じクラスのとっきーである。入学してすぐ、わたしが「スポーツバック、ピンクなんだ。かわいいね」と馴れ馴れしく話しかけた時に若干引いていたとっきーは、卒業してからも唯一連絡を取り続けてくれる大切なクラスメイトだ。

 

 当時から彼は、我がクラスを通り越して多分学年内でもズバ抜けて面白かった。なんか佇まいからしてシュールだったのだが、それがまんま文章にも現れていた。

 

 GLEE全盛期の頃、私も夢中になって日記を毎日書いていた。頭がお花畑だったので、担任が今日も尊かったとか、そんなくだらないことばかりを書いていた気がする。オンライン上でのみのお友達たちの、私と同等レベルにしょうもない日記が更新されていく中、私はとっきーの日記だけはいつも心待ちにしていた。

 

 私が伊坂幸太郎にハマったきっかけをくれたのもまた、とっきーであった。『砂漠』や『ゴールデンスランバー』、『オーファザー』を貸してもらった。多分、とっきーの文章は伊坂幸太郎に少し似ているんだと思った。だから私も好きになったんだろう。GREEは衰退し、とっきーの日記を読むことも無くなったので、私は今日もこうして伊坂幸太郎の本を読んでいる。

 

 私が思うに、文章の上手い人にはリズムがある。とっきーは軽音楽部で現在もバンドを続ける音楽家であるし、かの有名な太宰治も落語を習うなどリズム感には長けていた。なんかこう、読んでて気持ち良いのである。短い文章だとテンポが良く感じるし、だらだらした文章であったとしても、なんだか人を惹きつけるものがある。

 

 そして何より、ボキャブラリーの豊富さであろう。言葉のチョイスが絶妙なのだ。それにはやはり本を読むのが一番だと思うし、私も苦手と言って逃げている場合ではない。

 

 実のところまだ読んでいない伊坂作品がそこそこ溜まっているのである。これで伊坂ファンを名乗るのも恥ずかしいので、卒論も無事に終わったことだし、少しずつ読み進めようと思う。

 

  タイトルにもなっている「畏友」(いゆう)は、漢字検定2級レベルの漢字なのだが、わたしはこれをさっきまで(わいゆう)と読んでいたくらいの阿保である。ただ、とっきーとはたまに猥談もする仲なので「猥友」でもあながち間違いではないのかもしれない。

 

 読書をすると漢字の勉強にもなるからね。はい、読みます。