dazai

太宰のゆるゆる生活日記

祭りの季節

 

 車の窓にピタリと虫がくっついてきた。あいも変わらず気持ち悪い。360度どこからどう見ても気持ち悪いが、裏っ側は一際気色が悪い。車の走力に負けず、ツルツルしていて踏ん張りが利かないであろうウインドウにへばりついているその根性にすらも吐き気がする。わたしは虫がとにかく大嫌いだ。

 

よく虫は遥か彼方より地球上のどの生物よりも長く生存し、今後地球に隕石が衝突しようとも生き残っているのもまた虫であると言われている。いずれ人間は虫を食べて暮らして行かねばならぬことになるとせっせせっせと虫料理なるものを開発している。それを得意顔で喰っている日本人をTVショーで見てしまった日にはこの先の将来が不安になり、虫を喰らうくらいならいっそのこと早く死んでしまいたいという願望が、わたしの中で強まったものだ。

 

わたし以外にも虫の根絶を願う人間は多く、むしろそれを願う者はマジョリティにあたるのではないかと思う。「しらべえ」というサイトの調べでは、虫を触れない20代男子は8割だとするデータが確認できる。「男なら触れて当然!」のような風潮は今ではすっかり廃れてしまった。いや、そもそも昔から実は男子も虫が苦手だったのではないだろうか。


このように、我々人類の多くが虫に対し嫌悪感ないしは恐怖心を抱くのには、もしかしたら遺伝子レベルで何かしらのトラブルがあったからなのかもしれない。

 

車の外の生命力の凄い虫を横目に、今度は車内で羽蟻のような、小さな飛ぶ虫に出くわした。そのくらいに小さな虫に対しての恐怖心は微塵もなく、ここぞとばかりにわたしは平手で生命を潰しにかかる。ここでこいつを見逃してしまっては、今後わたし以外の人間のところへ飛んでいき驚かせてしまうやもしれん。もしかしたら子孫繁栄に勤しんでしまうやもしれん。いずれにせよ、ここで仕留めねばえらいことになる。わたしは殺れそうな虫ならば、躊躇いなどしない。道徳の学習指導要領に書かれている生命を尊ぶ何ぞという項目よりも、伝染病を運んで来るやもしれぬ虫を、わたしは公共の福祉のもとに殺すのだ。そうだ、別してわたしに道徳心がないわけではないのだ。

 

お天道様が笑っている。別して非道徳な行いをしているわけではない、公共の福祉のために虫と戦うわたしをジリジリと照らしている。同じくして、わたしを嘲笑わんばかりにひらりと指と指の間を掻い潜り、空中を浮遊する虫が現れた。小賢しい。さっさと潰されてしまえ。

 

ぱちん!顔の前でいただきますのポーズを取る。前席の背もたれ部分を2度叩き、左の内側ウインドウを軽く1度叩く。わたしの動きが生み出す風圧を上手く利用し、ひらりひらりと交わし続ける虫の動きがなんだか身軽で、余計に腹が立つ。今度こそぶちのめしてやる。そこを動くな。待っておれ。

 

数度目の正直といったところか、程なくして虫は生き絶えた。1度の衝撃ではめげなかったため、何度もウインドウのふちの部分を器用に使いながら擦り潰してやった。正直その虫には何もされていない。ただ、わたしの前に現れたというだけであった。虫にカテゴライズされていただけであって、その目の前にゴマ粒のように縮こまった元生命体は、どこぞの虫のように人を刺して死に至らしめる事も無ければ、血を吸って代わりに痒くする分泌液を体内に注入したりするものではなかった。少なくとも、目の前のすり潰された元生命体には、何の非もなかった。躊躇せず仕末をするものの、こうした後の祭りになることはもう恒例行事である。もう、心底面倒くさい。

 

ご先祖様すみません。我々人類は、虫に屈しそうです。そしてわたしはというと、虫と戦うメンタルも無ければ脳もないため、ここにありったけの虫に対する悪口を書きまくった後、何かしらの方法で命を断ってしまいたいと思います。本当に虫が気持ち悪いです。

 

ただ、ギリギリまでは粘りたいと思います。死ぬる勇気も今のところは持ち合わせておりません。姑息ながらも自分が勝てると思った生命体を捻り潰し、わずかな抵抗力を見せ、そうして後の祭りで賑わうことを繰り返しながら、潮時を待ちわびていることに致します。