dazai

太宰のゆるゆる生活日記

姿が見えない

 

自分自身が不慮の事故で死んでしまったという事実に気付かず、生前同様普段通りに生活するものの、ふと鏡の前に立って見たら自分の姿が映っておらず、そこで初めて自分の身に何が起きたのかを把握しちゃうような、そんなお話、あるあるですよね。

 

先程、駅にてエスカレーターを下っている最中、前方に広告看板を見つけまして、それが反射するような素材だったものですから、身なりに自信のないわたしはナルシストと勘違いされるリスクを背負いつつ、広告看板の前を通り過ぎる時に身なりをチェックをしてやろうと、広告看板の前の通過を待ちました。

 

巻いた髪の毛は湿気に負けていないか。ズボンの丈はこれであってるものか。高鳴る鼓動と降るエスカレーター。テカる広告看板は、もうすぐ目の前。

 

通り過ぎた。が、わたしの姿が見当たりません。

 

そんなはずは無いとわたしも思いたい。しかし、本当に見えなかったのです。前に立っていた2人組のギャルは映っていたし、反対から昇ってくるおじさんの残念な頭頂部までくっきりはっきりと、その広告看板には映っていました。

 

怖い。もしかしたら自分はいつの間にかこの世のものでは無くなっていたのか。恐怖に耐えかねてわたしはこの滞っていたブログの更新へと踏み切った次第であります。電車でパチパチとキーボードを叩いているわたしを疎ましいような目で見てくる乗客もいることなので、安堵感はグングン上昇中です。もっとわたしを見てほしい。存在証明は、あなたの視線です。

 

しかしながらあの不思議な出来事は何だったのでしょう。今は液晶画面に自分の姿をはっきりととらえられていますし、反射する電車の窓にも不細工なわたしを確認しました。

 

単に存在感が無さすぎたが故の現象ではないかしらん。と、自虐的結論に落ち着くことでしか、心の平穏は保てないと思うので、そうさせていただこうと思います。それとも本当にただの目の不調かしらん。自分の身体のことでさえも、不思議でいっぱい。