dazai

ゴッホより普通にアジカンが好っき〜い!

人の名前を笑うな

 

 

 同じ名前の人物に出会ったことがない。病院で名前をすんなりと呼ばれることが少ない。新しく転任してきた先生が名簿を読み上げるときに困っている…。

 

  これらは変わった名前の人々あるあるとして堂々のラインナップをしてくるであろう項目たちである。

 

 わたしはこの全てに該当する名の持ち主である。字面もさることながら、名の響きもあまり聞かない。大学生になってやっと、はじめて同じ名前の人物に出会い互いを讃え合ったものではあるが、さすがに字までは合わなかった。

 

 まだエゴサーチ略してエゴサの概念を知らなかった若かりし頃、わたしは自分の名前を検索ワードに打ち込み、検索をかけてみた。するとたちまち全世界の自分と同じ名前の人物がずらりと出てきた。

 

 「めっちゃいるやん!!!」

 

 正直あがった。親が自慢げに「絶対お前の名前と字まで一緒の人なんかこの世に一人もいないよ」と宣言したとき100万円賭けときゃよかったと、わたしの中に眠るギャンブラーの血がざわつき、アドレナリンがムンムンと出た。

 

「おう、全国の我と同じ名を持つ人間どもは一体どんな人生を過ごしているんだい?おんおん!!!」

 

 不思議と自分と同じ名を持つ人々はパリピ感満載な人が多かった。見れば見る程、自分はこの名のカーストにおいては底辺を這いずっているのではないかという思いに苛まれ、憂鬱な気持ちになってしまった。その辺でやめときゃいいのに、自分はなんでこんな根暗陰キャなんだろうと悶々としながら懲りずに画面をスクロールしていくと、こんなYahoo!知恵袋のページを見つけてしまった。

 

 「この中でDQNネームだと思うのはどれですか?」

 

 可愛いながらも、まあ珍しいと思われる名前の羅列の中に、確かに自分の名前も挙がっていた。珍しい名前だと自覚はしていたが、DQNネームの疑いをかけられるに値する名であったとは思いもしていなかったので、驚いた。おそるおそる解答欄を読んでいく。

 

 「○○って名前かわいいじゃないですか」「○○はDQNかな」「○○は…」様々な見解の羅列。幸いわたしの名前に関してDQNという意見はひとつも出ていなかったが、反面DQNネームと言われる名前も多々挙がった。

 

 どうもわたしはDQNネームという括り方が好きではない。名前とは、それぞれの親が必死で悩んで考えてくれた、最高の愛の権化ではなかろうか。こんな人に育ってほしい、可愛い名前にしてあげたい、いい画数にしてあげたい…様々な親の、それぞれの思いが込められ、我々は今ある名を授かったのである。

 

 そんな名前をDQNネームだなんて言い放ってしまうのはあまりに乱暴で、ナンセンスだ。今ではキラキラネームだなんて言われ方をしているが、そちらも正直好ましくない。キラキラと言っておきながら、これは明らかな揶揄である。キラキラネームではない名前は何だというのか。平凡ネームとでも言えばいいのか。そんなわけはなかろう。

 

 珍しい名前は個性だ。世の中見慣れた名前ばかりでは味気ない。いつか「キラキラ」が揶揄ではなく賞賛の概念に塗り替えられてしまえと祈るばかりだ。なんなら加勢もいとわない。わたしはそんな思いも込めながら「自分の名前が大好き」だと主張し続けていく。

 

 自分の名前の由来を聞いたのは、小学生の時の学校の宿題がきっかけであった。親に命名エピソードをインタビューして来いというものである。わたしはそれを機に、嫌いだった名前が一変、大好きになったのであった。

 

 願いが叶って実りますように。…命名されたわたし自身も、切にそれを望む。(名前は好きに予想してください。公式発表はしません)