dazai

太宰のゆるゆる生活日記

ちょっと同音異義語の話をしよう

 

 

 どうもお久しぶりです、太宰です。おまえ登場するたびに久しぶりじゃねえかという突っ込みは、どうぞ心の中にしまっておいてください。その思い、大切にしてください。

 

 現在、アルバイトで小学生に国語を教えているのですが、先週の授業で、こんな問題にぶち当たったのが印象に残っているので、今回はそれについて書きたいと思います。

 

 

 問4.次のカタカナを漢字で書きなさい。

①コウセイな判断。 ②社会をコウセイする。

 

 いわゆる同音異義語のお勉強。漢字の定番であり、ダジャレ問題である。ダジャレというと、なにやら馬鹿にしてくる輩もいると思うので、古くからの日本の伝統的かつ文学的な技「掛詞」にも通づるものであるのだと、ひとこと付け加えておこう。この文面を、古代からタイムスリップしてきて数年、今もなおなんとなく現代でお過ごしの方に見られたら「掛詞はダジャレみたいに低俗じゃねえぞ」と怒られるかもしれない。しかしここでわたしはすかさず「おまえこそダジャレなめんじゃねえぞ」と言い返したい。ダジャレは頭の体操にもなるからボケ防止にも有効なのだと、テレビで誰かが昔言っていた気がする。たぶん。

 

 そんな架空の人物との無謀な言い争いはここまでにしておいて、次に進もう。その女の子はわたしのような熱烈的ダジャレ愛好家なわけでもなければ、読書で活字に触れる習慣があるわけでもなかったため、一度に複数の活字が浮かばないようだった。わからなくなると回転椅子をクルクルさせるのは、彼女の癖。その日も絶好調に、ゆっくり、ゆっくりと椅子は回っていた。

 

 一度こうなると、彼女は途端に解かなくなる。そんな彼女に、わたしは「自転をしているお嬢様に、辞典を持ってきて差し上げたわよ」と、辞典を差し出した。無言で辞典を手に取り、ぱらぱらとめくり始める彼女に「つっこんでくれや」と呟いたが、余程「コウセイ」が気になっていたのか、先ほどまで回転椅子に任せていた身を机に乗り出し、夢中で「コウセイ」を探しはじめていた。

 

 ほかの生徒の勉強をみて、しばらくしてわたしの渾身のダジャレに無視を決め込んだ彼女のほうへと目をやると、彼女は「コウセイ」の載っているページにようやく辿り着いたのか、ページの開かれた辞典を机の上に置いている。しかしまた、自転を始めていた。

 

 「回ってないで書きなさいな」と促すと、「だって見てこれ」と。「どれどれ」とページを覗き込んでいると、なんということでしょう。自分の予想以上に「コウセイ」が掲載されていた。その辞典は1ページ3段構成になっているのだが、実に2段が「コウセイ」で埋まっていた。自分の身の程をわきまえず、思わず「おまえこんな引き出し持ってたんだな!」と褒めちぎりたい衝動に駆られる。

 

 「もうわかんない~」と鼻を鳴らしながら答えをせがむ彼女に、「用例も載っているんだから、問題文と照らし合わせながらもう一度考えてみなさい」と言うと、しぶしぶ辞典へと目線を戻した。

 

 「①の答えは、平等みたいな意味を持ってるよ」とヒントを出したら、それはすんなりと見付けられた。「公正」だ。問題はここからだ。

 

 「②はそうだなあ…」この記事を読んでらっしゃるあなたは、ちょっとお手数ではあるが、ここから3段落前に戻っていただければ用例がわかるだろう。しかし改めて「構成」を説明しろと言われたら、言葉に詰まってしまう。そんな中、「え~ないよ、ゴウセイになっちゃった」と女の子。

 

 「まじか」

 

 「構成」がこの世から消え去ったとして、わたしの私生活にはなんら問題はないが、きっと「構成作家」と呼ばれる職業の人々が、明日から己の身分を語るうえで困ってしまうこと請け合いだろうと危惧したわたしは、彼女の腕の中の辞典を覗き込んだ。

 

 「公正」「攻勢」「更生」…名だたる「コウセイ」の羅列の中、「構成」は確かにそこにいた。安心した。全国の構成作家さん、明日からも胸張って構成作家を名乗れます。

 

 「構成」は後半にいたこともあり、どうやら彼女が途中から飽きらかして、すっ飛ばしたに違いなかった。「載ってるよ、ちゃんと見たか」と言い、一緒に確認してみることに。

 

 「公正」「攻勢」「更生」…「後世」……

 

 (あ、そろそろ「構成」…くるぞ…)

 

 「厚生」………

 

 (次だ!!!)

 

 期待が高まったその次の瞬間「ねえやっぱないよ~」と鼻を鳴らす彼女。

 

 「いやいやいやいや、くじけるタイミング絶妙だろ。頼むから、もう少しだけいっとくれ」と心からお願いして、数秒後なんとか「構成」と彼女を出会わせることに成功した。しかし「これ?いやいや。っぽくない」と吐き捨てられ、そのままぐんぐん進まれそうになった。「コウセイ」と彼女にもうこれ以上翻弄されたくないと思ったわたしは、「いやいやいやいや、バック!カムバック」と、彼女を引き留めた。

 

 「構成ガン無視は酷かったにしろ、前より辞典使うのうまくなったね」と言うと、「先生が塾で辞典を使わせてくれるから、探すの本当に速くなったと思う。ありがとう」と彼女が嬉しそうに話してくれた。辞典への苦手意識をなくことができたなら、まず良しとしよう。

 

 

 同音異義語はたくさん存在する。さっきも先週の「ぐるナイ」を観ていたら(アジアン系のお店の回でした)二階堂ふみちゃんが真鯛の岩塩包み焼きに舌鼓を打ちながら「ん~~!タイ~~~~~!!!」とコメントしていたが、それが魚の「鯛」なのか国名の「タイ」なのかが謎であった。テロップを入れる際、制作側もきっと戸惑っただろう。もしかしたらふみちゃんはダジャレのつもりで言ったのかもしれないし、さらにいくとメニュー名を決めたシェフは確信犯ではないだろうかというところまで、わたしは思いを巡らせてしまった。

 

 ダジャレは寒いと馬鹿にされがちであるが、我々は日本の国語教育によって、無意識にダジャレスキルを会得している。ダジャレが思いつく人ほど言葉を知っているということであり、賢いということだと、わたしは考える。その第一歩、入門編として同音異義語を彼女は勉強しているわけだが…。「自転」と「辞典」の掛詞には、いつ気付いてくれるだろうか。

 

 (気づいてはいたものの、寒いからわざとスルーしておいた説もあり得るが、それはわたしが可哀想なので無しの方向で頼みます。)