dazai

太宰のゆるゆる生活日記

魚服記

 

  このタイトルのみで「さてはこいつ太宰治だいすきだな」と気づいてくれる方がひとりでもいたら嬉しいな。なんて期待しつつ、ユーザー名もブログタイトルも dazai なのだから、誰でもわかるわぶちのめすぞ。なんて思った方が大半だろうなと後から嫌に落ち着き払ってみる。いやしかし、ここでぶちのめそうと思ってくれた方にこそ『魚服記』、是非一読していただきたい。

太宰治『魚服記』↓ 以下URL

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1563_9723.html

 今タイトルの作品が、太宰が 太宰治 として発表した処女作であるとされる。先日調べていたら、『列車』が処女作だとする研究者が現れたため、断言は控えておくこととするが、卒論でどうせまたぶち当たるであろう問題なので、いつかお伝えできればと思う。とにもかくにも、今回の投稿も、場が変わってからの初投稿ということにもなるので、タイトル名は『魚服記』とした。是非読もう。

   一昨日のゼミの活動でわたしがこの作品を持ち込むことになり、前回の『トカトントン』の発表の際には研究不足で教授に精神的に滅多打ちにされたことからも、今回は突っ込まれる隙を作らぬよう、実は割と頑張った。2限を無視して頑張った。これに関しては、普段真面目に講義に出席したおかげでできた欠席権が自分にはあったため、後ろめたさ1割程をかかえつつ、図書館へ引きこもることとした。「学費を払ってくれているご両親に申し訳ないとか思わないの?」的なバッシングにも真摯に向き合っていく所存である。1割がそれにあたる。しかしその1割が考えられなくなるような事件が起こる。

 先にも述べたように『魚服記』が処女作ではないとする研究者が現れたのだ。その時はまだ元気だったので、図書館にある太宰治関係の文献を片っ端から開き、知識の海インターネットをサーフィンした。が、『魚服記』が処女作とする学説ばかりだ。なんなんだ。だったらやっぱ合ってんじゃん。とはならなかった。『魚服記』処女説を否定する「太宰治大辞典」(勉誠社)は平成17年編集、つまり比較的新しい学説なのだ。民主主義の我が国は多数決の原理に基づき答えを出すことが多いが、研究に関しては、新しい学説にこそ説得力がある。なぜなら既に世に出された古き太宰治に関連する情報をも含め、論を講じているのだから。

  という具合に、一旦考え出したら宇宙がみえるまで考え込んでしまうわたくしであるから、このままでは収拾がつかなると判断し、ゼミ発表本番にこの処女作問題を卒論でやろうと思いますと投げやりにプレゼンして丸く収めることとしたのだった。期待していてください。