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dazai

ゴッホより普通にアジカンが好っき〜い!

雇用契約書って、いつ処分すればいい?

 

 今、やっとこさ重たい腰をあげて、机の周りから片していたところである。積みあがった本をおろし、出しっぱなしの筆記用具をベッドの上にひとまず置いて…(結局場所を変えているだけで、なにも片ついていないじゃないかという突っ込みは受け付けておりません)そうこうしていると、懐かしき前のアルバイト先の雇用契約書の本人控えが出てきた。

 

 お!懐かしい!一通り中身に目を通して、当時契約を交わしたてだった自分の好奇心や期待感を思い出してみたりする。契約期間はもちろん切れていたわけで。

 

 ごみじゃん!!!

 

 そう思ったわたしは、両手で持っていたその薄い紙を、ぐしゃぐしゃ!っと丸めてごみ箱に捨てた。日々のストレスをここぞとばかりにぐしゃぐしゃ!に当てた。そこそこすっきりした。

 

 そこでふと、思うのである。「これ、捨てていいんだっけ…?」

 

 疑問に思ったわたくし、調べました。知識も海をサーフィンして参りました。今日はここで、その調べた成果を発表しよう。

 

 結論、使用者側は、契約終了した雇用契約書は、3年は捨ててはいけないそうだ。この3年というのは、退職日から3年ということである。以下、労働基準法からの引用である。

 

(記録の保存)
第百九条 使用者は、労働者名簿、賃金台帳及び雇入、解雇、災害補償、賃金その他労働関係に関する重要な書類を三年間保存しなければならない。

 

 前のアルバイトでお世話になった会社は、今自分の手元にあるのと同じものを、あと3年近く保有することになる。そこで何らかのトラブルが起こった場合、自分も同じ手札を出せなかったらきっと不利になると考えれば、多少かさばってでも、この紙切れはやはり取っておくべきなのであろう。

 

 ちなみにわたしは、以前お世話になっていた他のアルバイト先の訴訟問題に巻き込まれたことがあり、この手のトラブルには人より過敏になっているところがある。その際には幸い、怒りに任せて破り捨てた雇用契約書をはじめとしたその他の重要書類の提出を使う機会は一切なかったのだが、いやはや何事も念には念を。である。

 

 とりあえずわたしは、丸まった雇用契約書の本人控えをごみ箱の中から救い出し、しわを伸ばして透明なクリアファイルに入れて、再び保管するのであった。ああ、部屋が片つかない。

 

今週のお題「冬の寒さ対策」

 

 ということで、久しぶりの更新となる今回は、記事のネタが思い浮かばないので他者から提示されたものに頼ってしまおうと思う。本当にお久しぶりの更新となります。最近は本業である大学での行事やテストがいっぱいで、なかなかこうしてゆっくりと書くことができませんでした。その間、わたしが即席性のあるTwitterにだいぶお世話になっていたことは、今この記事を読んでくれている皆様方ならお察しのことでしょう。

 

 さて、「冬の寒さ対策」ということですが。基本的に徒歩の時間が長くなりそうなときには、コンビニで280mlサイズの、小さなホットボトルを購入し、それと手をコートのポケットに突っ込むスタイルが、わたくし流である。比較的最近...去年の秋頃に、定着してきたくらいだったかしら。

 

 わたしは現在、神奈川県は湘南地区に住んでいるのだが、大学進学でこちらへ来るまでは本州最北端の地、青森に住んでいた。中でも自分の住む場所は、地吹雪体験ツアーのメインルートとなっているくらい極寒の地だ。建物内から外に移動し歩いていると、寒暖差に対応するべく鼻から分泌液が垂れてくると思うが、気が付くとそれがカチンコチンに凍る世界である。

 

 そんな世界から地吹雪もなければ雪すらない殺風景なコンクリートジャングルへやってきた自分にとってみれば、こちらの世界は暑過ぎた。

 

 特に女の子は寒がりで、教室内の温度は常夏レベルにアツアツだった。それでもなお「寒~い」と文句を垂れる彼女たちは、まるで熱湯並みの熱さの湯に浸かりながら、平然としている老人のようだとさえ思った。狂っている。

 

 わたしは幼少の頃より「布を纏うは無制限、剥ぐには裸が限界点」という持論を展開し続けている。寒さは服を着るなり、布にくるまるなりすれば回避できることであるのに対し、暑いからと言ってその逆をすると公然わいせつになることは勿論のこと、裸止まりでその先には行くことができない。裸になっても暑い場合はどうすりゃいいんだ。皮膚剥げってか? ということで寒がりの人たちに努力をしてもらうしかないと思っている。しかしこの持論を展開したところで、寒がり屋さんに通じることはなく。結局わたしが薄着でいることで均衡を保っていた。

 

 ...のは、一昨年までであった。神奈川県に移住してきて3年目の体に異変が生じた。「寒い」のだ。雪が降っていないのに寒いのだ。今年が以上に寒いのかとも思ったのだが、そんなこともないらしい。わたしは青森にいた時でさえあまり身に着けていなかった手袋を買いに行き、苦肉の策としてマスクを着用するまでに、寒さにめっぽう弱くなってしまっていた。数年前までは考えられないことだ。ちなみに極寒の地である地元民の中でも、わたしは特に暑がりの部類であった。それがいまやこのような様で。

 

 この異様な暑がり特性のせいで、まだ関東よりは厳しくないであろう青森の夏をまともに乗り越えられたことはなく、30度を超えた日には家から一歩も出られないほどであった。しかし、ここにも異変が。

 

 今年の夏は然程暑いとは感じず、毎日元気に過ごすことができたのだ。しかも冷えピタなしで。一昨年まで冷えピタなしでは生きていなかった、この自分が。慣れなんでしょうかね。ねえ。臨機応変すぎる自分の体に、心は臨機応変に対応できてないよ。

 

 はい。ここまでは問題文でした。ここで問題です。

Q.わたしの「冬の寒さ対策」にあてはまるとされるものを全て本文から書き抜け。

(解答は下にスクロール)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんなに解答スペース要らねえよって思ったでしょ。はい、答え合わせです。

A.①コンビニで280mlサイズの、小さなホットボトルを購入し、それと手をコートのポケットに突っ込む

   ②手袋を買いに行き、苦肉の策としてマスクを着用する

 

 アンサーはたったこれだけなのにも関わらず、だらだらとくだらん話をしてしまうような人間です。久しぶりで楽しくなっちゃった。ちなみに一番好きな温かい飲み物が最近コンビニに売っていないので、どなたか目撃情報がありましたら是非わたくしまでご一報ください。

 f:id:machibook:20170202122304j:image

カフェの席にて

 

 お久しぶりです。太宰です。さて、わたくしは今、某駅構内のカフェにいる。

 

 この後夕方からあるアルバイトまでの時間潰しと、腹ごしらえの目的を掲げた人間が駆け込むには、カフェ以外にうってつけの場所はないだろう。マクドナルドは今頃中高生に乗っ取られている。わたくしは、そんなところに飛び入り参加する勇気などない。

 

 しかしながら「世界の駅乗降者数2015」にて第5位にランクインしたこの駅構内のカフェの混みようは、尋常ではない。空席があるのは、本当にラッキーである。そして今わたくしはそのラッキーに遭遇し、見事座席権を獲得した。

あああ〜 ゆったりスペース極楽なんじゃ〜〜

 

 そんな極楽時間も、数10分で破壊された。

 

 その前に、わたくしの座席の近辺情報をお伝えしたい。ざっくり絵に描くと、こんな感じである。

 f:id:machibook:20170113161232j:image

(ほんの一画です。実際はもっと奥にスペースありますよ。)

 

 図の中で、わたくしの位置は左下にあたる。すぐ右隣のテーブルだけ、空いていた。わたくしにしてみれば、誰とも接していない状態なので、良席であった。視覚的な仕切りは無くとも、そこにほんの少しのスペースがあれば、たちまち透明な壁が築かれるものである。お陰で、腹ごしらえのため、カフェにも関わらず爆食いしているという恥ずかしさも、多少は軽減されていた。

 

 「きゃ〜〜!あははは!!!でね〜!藤本君がね〜!」

「へえ〜〜そうなんだぁ〜!!」

 

ああ、これは、来るなあ…。声を聞いただけで分かった。これは頭の悪い女の声のボリュームと会話である。そんな人達が、このおひとりさまゾーンに鎮座する我々に気なんて使えるはずがない。きっと彼女たちは、この空席のテーブルを見つけ、一目散にやって来る。

 

「わたしってほら〜 自分からLINEとか終われない人じゃん?」

「へえ〜〜そうなんだぁ〜!!」

 

知るかボケ。と心の中でボヤいているうちに、彼女たちは席に着いてしまった。

嗚呼、ゆったりスペースの極楽が…。

 

 パスタ、サラダ、ケーキの3点セットに囲まれたわたくしの横に、カプチーノのショートサイズを持った女子大生。声のボリュームは相変わらず。会話の9割男関係。精神的、聴覚的、あらゆる方向からわたくしをやっつけに来る。忘れかけていた爆食いに対する恥ずかしさも、フツフツと取り戻されつつある。

ひとつ飛ばした席でパソコンをカタカタしているおじさん、今どんな気持ちですか。かわいい女子大生キタコレテンアゲ〜!って感じっすか。でしたら何よりです。

 

 と、ここまで書き上げたところで、女子大生二人組がお帰りになられた。滞在時間40分程であっただろうか。意外と短かった。先程の図に描いたメンバーは、まだ鎮座している。

 

 女子大生二人組に、来るべき時間が来てしまっただけなのか。それとも、おひとりさまゾーンの我々が放つ ”何か” をキャッチして、退散することにしたのか。真相は、わたくしには到底知り得ぬことだが、”二人組” という、互いにとって味方がいる状態でやって来た彼女等に、おひとりさま集団の放つ、何か底知れぬ腐臭のようなものが勝ったとしたならば、それはおひとりさま種族にとって、大いなる一歩となり得るのかも知れない。

なんて、くっだらないことを考えながら、いつの間にか喉が渇いていたのでアイスティーをすすった。寒い。

 

 その数分後、空席になったところに20代の女性がひとりで腰掛けた。おひとりさまゾーンの我々は、快く彼女を迎え入れ、再び極楽時間を取り戻すのであった。

 

一年の始まり

 

 一年というものは、ノートと似ている。最初の1ページ目は、それはそれは綺麗に、慎重に書く。大問の位置だとか、字の留めはね、はらいだとか…。

 

 「このノートこそは最後まで綺麗に使ってみせるんだ」という感情を、人生の中で、かれこれ167回くらいは抱いてきている。しばしば経験○数と人間性は、世間で反比例の評価を受けるものだが、ノートに関しては本当に自分は飽き性で、言い訳が立たない。経験冊数3桁は余裕だろう。汚くなったら、途端に嫌になる。めちゃくちゃ雑になる。ちなみに大体2〜3ページ目でやらかす。故意ではない。

 

 さしずめ、カウンターを挟んで向かい側から、圧倒的理不尽さで迫ってくる客も、新年数時間を過ごしてみて、何かやらかしたのだろう。さすがに一年の目標に「店員に対して傲慢な振る舞いをしよう」だなんてジャイアニズムなテーマを掲げる人間なんていないと信じたい。自分がこのショッピングモールの従業員であることを忘れて自由に発言して良いものなら、声を大にしてこう言いたい。

 

「お前ら全員家で親戚と酒酌み交わすか、初詣にでも行け!!!!!

数時間前の除夜の鐘で煩悩消し去ったんじゃねえのかよ!!物欲ゥ!!!」

 

 心の叫びも虚しく、わたくしから見たら変わり者の人間たちが、大量にショッピングモールに流れてくるのであった。

 

 この人の賑わい具合に急かされてか、はたまたわたくしの唱えるお正月の常識的過ごし方と同等の考えを持っていたために、この状況に身を置きながら働くということに苛立ちを覚えていたからか。とにかくこちら側の、バイト先の雰囲気も最悪であった。

 

 本日わたくしはめちゃくちゃ理不尽に怒られまくった。未だに腑に落ちていない。皆の怒りの沸点はかなり低く、正直これは八つ当たりにも近いんじゃないか?と何度も思った。これ以上書くと、止まらなくなるため深くは語らないでおくが、ひとつ分かったことは、今年も自分は安定して、レベルの高い「ゆとり」だということであった。自分でも引くほど。  ああ、もう嫌だ。

 

 この通り、わたくしの2017年という名のノートは、見事1ページ目で失敗した。もう書く気になんねえ。しかしページは余りまくってる。さすがに勿体無いから使わねば。勿体無いから、使わねば…。

 

 ということで、わたくしの2017年という名のノート、2ページ以降はめちゃくちゃ雑に、ゆるく適当に作っていくこととする。もうほんと、どうにでもなれ。新年一発目の、記念すべき飯が「冷凍グラタン」だった時点で自分の新年の幕開け間違ってんだ。大丈夫。

 

追記。 明日は一日中家でゴロゴロする(堅い決意)

 

 

新年

 

 「あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。」

という台詞を口にするのは、自分が言葉を話し始めたのが1歳程だと聞いているので、そこを差し引き20年目と換算しておこう。今年も無事に記録更新できたことを、喜ばしく思う。

 我が人生2回目の酉年ということだが、1回目は遡ること12年前、小学校3年生の、まだ年齢が2桁にも満たない頃。クラスの女子や幼稚園の同級生たちに、ひよこの絵の年賀状を書きまくり、相手ごとにメッセージにも工夫を凝らして、可愛いシールやキラキラのラメ糊のデコレーションに命を懸けていた、謎の葉書職人時代…。今考えたら、なんて偉いんだろう。今やそんなことできる体力や気力がない。無理。しんどい。まあ、だからこうして、不特定多数に向けて、新年の挨拶を発信しているわけなのだが。

 新年早々怠惰ですみません。念のために言っておくが、昨年のわたくしのメンタルもなかなか死んでいたので、メンタル喪中ということで年賀はがきの受け取りは今年も拒否します。(返すのめんどくさいってのが本音)

 さてさて。2016年は、良くも悪くも自分の方向性が大幅にブレにブレた年であった。かなり迷走した。自分の周りの当たり前が変わり、長年蓄積してきたものが、自分の軸になっていたものが、ガタリと崩れていく様を見た。嗚呼、青天の霹靂。

 だがしかし、そのおかげで多くの発見や学びがあり、成長することができた、いい一年であったのは確かである。強がりとかではなく、心からそう思っている。我が2016年に悔い無し。みなさん本当にありがとうございました。お世話になりました。感謝感謝。

 そんな2016年をインプットの年とすると、2017年はアウトプットの年とでもしましょうか。そんな活動をたくさんできる年にしたい。自分を売り込んでいくことになるのでね、特に今年は。自分なりに、自分らしく頑張っていけたらと思う。自分が異端者ということを念頭に置いての歩みの一歩、踏み出す覚悟は十二分。みなさん、今年も応援していただけたら嬉しいです。本当にこいつ頭おかしいんじゃねえかってなった時には助言ください。

 そんなところです。あとはギターがうまくなりたいので、練習を頑張ろうと思います。ブログの更新頻度も上げていきたいです。死にたくなったら「おっぱい」と呟いて乗り越えて見せます。今年もやったりましょう。最高な1年に。

 

2017年 1月1日 太宰。

 

ズレ

 

 twutterにてこんな記事を見つけた。

  ベンチは確かに 寝る場所 では無い為、寝させないような工夫、 排除アート は行政の取り組みの一環としては評価していいのではないかとわたしは思う。景観にも気を遣っているわけだし、おしゃれなものはおしゃれだし。しかしそこじゃない。行政が目を付けるべきはそこじゃないのだ。

 ホームレスの方々に居場所を提供してあげる。これこそ早急に着手しなければならない案件ではないか。ホームレスが社会復帰し、公共のベンチでゴロゴロしなくなり、市民も安心ホームレスも安心。みんなハッピーじゃないか。排除アートという、取り組みとして評価はできるがはっきり言うと行政の無駄遣い感が強いそれも無くすことができ、行政の財布も潤うじゃないか。

 と、簡単に言ってしまうことはできるが、景気やら何やらがそれを阻むのだろう。それはわかる。ホームレスに救済を!という姿勢に自分がなっているのも、明日は我が身の思いからなのかもしれない。だって景気が悪いもの。

 とりあえず行政ももちろんだが、塵のような我々市国民もそれなりの心持ちで暮らしを営んでいけば何かは変わるはずだ。いつか絶対に。

 行政の目の付け所のおかしさについて語ってきたが、自分もなんだか論点がずれてきたので、ここにて記事を強制終了することとする。

忘却

 

 わたしは湘南にある、とある大型ショッピングモールの中に入っている書店の物販として、週2程度働いている。従業員が出入りをする際には 入館所 が必要となるのだが、わたしはこれを定期的に週1で忘れてくる。同僚たちに「持ってきなよ」「学習しなよ」と呆れられ、来週こそはと誓って見せるものの、やはり忘れてしまう。部屋が散らかっているため、鞄が多いため、コートを気分によって着分けるため…。たくさん要因は思い当たるし、改善すべき事項にも目途が立ってはいるのだが、重い腰を動かせず、今もこうしてパソコンをカタカタしている。そして身の回りに物は溢れていくと。無限ループ。無常。スパイラル。

 ちなみに、マウスも紛失中だ。コードが付いていれば、芋蔓式で救ってあげることができたであろうに、コードレスマウスにはそんな救済措置が通用しない。するとこんなことも起こる。マウスの捜索範囲が広範囲化する。だってコードレスなんだもの。分布範囲は無限大。まったくな時代になったものだ。

 昔こそマウスパッドが使えなかったため、もうこんな事態になるとパソコンを起動することさえしなかったであろうが、わたしも成長したものである。今使ってみていて「なんだ、要らねえじゃん。出来んじゃん!」と己の可能性を発見をしてしまったくらいだ。初めて補助輪なしの自転車に乗れた、あの感覚に近しいものさえ感じてしまう。忘却がノスタルジーを運んできた夜更けであった。