dazai

太宰のゆるゆる生活日記

わたしが太宰を名乗る理由

 

 

 私は太宰と申します。ツイッター名も、ポケモンのプレーヤー名も、ショッピングサイトのニックネームも、すべて「太宰」で登録してます。

 

 「太宰ってことは、もしかして太宰治が好きなんですか?」と聞いてくる人が多いのですが、その度に私は「太宰春台の可能性も考えましたか?」と問いたくなります。まあ、太宰治の方で合っているので、いちいち突っかかったりはしていません。

 

 偽名と言われれば偽名でございます。が、「太宰治」の名も、これまた偽名なのです。彼の本当の名前は、津島修治。青森県は金木町に生まれた、作家であります。

 

 私も同じく青森県は金木町に生まれ、育ちました。今の子どもたちなら中2で学習する『走れメロス』を、小6の時点で学ばされました。しかもほぼ自力です。本を渡され、読んで感想を書いてみろという、所謂読書感想文を書き上げるという義務教育と地域学習のコラボレーションによって、地元が生んだ大スターと、私は出会うことになるのです。

 

 しかし若すぎたのか、当時の私には太宰の良さが全くわかりませんでした。『走れメロス』以外の作品を読んでみようだなんて気持ちも全く起こりませんでしたし、なんなら同じ地元が生んだ大スター、吉幾三の方がスターらしいスターなんじゃないかとも思っていました。

 

 あ、今でも勿論思ってますよ。吉幾三のおかげで、私は自己紹介の時にひとネタさせてもらってます。心の底から尊敬してます。感謝、感謝です。

 

 吉幾三への思いを語り始めたら止まらなそうなので、切り上げて次に進みます。

 

 大学進学のために、私は故郷金木町を離れ、横浜に出てきました。初めましての方々に自己紹介を人にする機会も増え、周りの話す標準語を真似ながら、なんとか浮かないようにと繕いました。

 

 しかし、会話に花が咲くのは「青森県出身」と「吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ!』の、あの村出身」というネタ、そして「方言が面白いね」という地元ネタばかり。

 

 さりげなく吉幾三が出てきてしまいましたが、気にしないでください。続けます。

 

 自分のアイデンティティ青森県は金木町にしか既存していないのではないかという不安に、毎夜毎夜駆られていました。

 

 青森が恋しい、帰りたい訛りたい......

 

 そんな時に再会したのが、かの文豪太宰治でございます。書店で『津軽』という、薄い文庫が目に留まりました。手に取りパラパラめくってみると、私が暮らした青森県の爽やかな麦の匂いが、優しく香って私を包み込んでいくような錯覚に駆られました。読んでて心地の良い文のリズム、愛するが故に故郷を皮肉ってみせる洒落たセンス...。その場で、私は太宰に惚れ込みました。

 

 それから、出生地の他に、私と太宰にはいくつかの共通点があることを知りました。親兄弟が優秀で家柄が良かったこと。それに対してコンプレックスを抱いていたこと。闇深いが笑いをとても愛していたこと。お洒落に気を配って空回りしたこと。ちょっとナルシストなところ。大学進学で上京したこと。新聞社を受けたが落ちたこと。作家を志したこと。死にたいと思っていたこと。青森県を愛していたこと。

 

 私が太宰治に親近感を持つのに、そんなに時間はかかりませんでした。辛いことがあったら太宰治の作品を読み、太宰も辛かったんだよなと悲しみに寄り添ってもらい、かと思えばクスッと笑える文章で、いつも暗闇から救ってもらいました。

 

 そうして私は、かの文豪太宰治への尊敬の意を込めて「太宰」を名乗ることにいたしました。これからもきっと、私は「太宰」と名乗り続けて行くことでしょう。余談ですが、いつか三鷹に越したいと思っております。登山をするとなったらうん十万もかけて登山道具を一式揃えちゃうくらいには、形から入る人間なのでね。(登山をしたのはその一回っきりとなりました)

 

 

もう、文系って言うことにした。

 

 

 「文系?理系?それとも体育会系?」

 

 この手の質問を受けると、私はいつも非常に回答に困ってしまう。

 

 今現在の私で考えてみると「文系」と答えておくのがおそらく無難だ。教育学部の国語科専攻であり、また、来年度から出版社に入社することを踏まえれば、人は皆、私を「ド文系」だと思うであろう。

 

 しかし私は、書くことは好きであっても、本を読んだり話したりすることは存外苦手である。人の書いた文章は、殆どまともに読めた試しがない。どうしても、途中で飽きてしまう。また滑舌が非常に悪く、口下手なことも相まって、うまくおしゃべりすることが出来ない。そのため、国語の成績は4の常連であった。

 

 また、中学までの私は、数学・理科が得意であった。好きか嫌いかでいえば断然社会の方が好きだったが、「好きこそ物の上手なれ」のことわざを信じなくなるくらいには、数学・理科の方が圧倒的に出来た。小学生の時には算数で全国1位を取ったこともあり、周りからも理系女になると期待されて育ってきた。そのため、高校受験では数学・理科の試験の得点が×1.5倍で計算される理数科を受験することにした。そして得意科目なこともあり、私は見事合格する。が、そこからが悲劇の始まりだった。

 

 高校の数学、そして理科が細分化された物理、化学、生物が全くわからず、私は周りについていけなかった。理数科ということもあり、クラスメイトは数学・理科が得意な人達の集まりなので、私の出来なさ加減は余計に目立った。理系科目については、センター試験で受験できるのが3つのうち2つのみだったので、必修の化学はさておき3年進学次に、物理か生物、どちらを受験で使うかの選択を強いられた。その選択した科目の授業に参加するというシステムだ。

 

 正直まじでどっちも出来なかったから、教えてくれる先生で決めようと、適当に考えていた。しかし物理の先生に「太宰は、どっちを選ぶんだ?」と聞かれ、「いやあ、迷ってて...」と言いかけたところ、「まさかこの点数取っといて物理はねぇよな?」と、脅しとも言えよう圧力をかけられてしまったので、萎縮した私は泣く泣く生物選択をすることにした。その後、生物の先生にも「え?太宰は絶対物理なんだと思ってた。まじか」と焦られる始末。「改心しますから。何卒」と、なんとか生物の先生を宥めて選択許可を得たものの、私の成績が挽回することは、結局無かった。

 

 そんな私の、高校で一度も4を取ったことがない科目は、何を隠そう保健・体育である。 保健に関しては、まあまあまあ。言わずもがな。察していただけるであろう。そうゆうことだ。関心・意欲は十分!知識もバッチリであった。

 

 人からはよく「のんびり屋」「どんくさそう」と言われたりするので、あまり運動しているイメージをもたれないのだと思う。運動をするのが好きか嫌いかで言ったら嫌いで、得意か不得意かで言ったら得意である。 神はまあ、余計な能力をさずけた。体力テストでは3年間Aを取って賞状をもらった。また毎年行われる競技大会では、自分のクラスに女子が少なかったこともあり、通常ひとり2〜3種目で良いところを、異例の9種目出場で3年間やり通してみせた。ドッジボールで最後に残るのは大体私であったため、各クラスから「太宰を先に殺っちまえ!」等というバイオレンスな叫びが飛び交っていたことを、私は今でも鮮明に覚えている。疲れるのでさっさと当たって外野に行きたいと内心思っていたが、クラス対抗のものなのでと、苦しいながらに頑張って耐えていたものだ。

 

 こうして見ると、なんて自分は中途半端な人間なのだろう。だんだん自信が無くなってきた。こうなったら、昔、占い師に言われたことを参考にしてみよう。

 

 そう思った私は、おもむろに押し入れの中から日記を発掘し、パラパラとめくってみた。そして、2年ほど前の、手相占い師に言われたことを覚えている限りメモしておいたページに行き着いた。

 

 「芸術系の才能に長けていますが、文系でもあり理系でもある。バランス人間です」

 

 ……なんかもう、なんでもいいや。とりあえず「文系」って言っておこう。そうしよう。そう思った。

 

 手持ち無沙汰であったので、試しに絵を書いてみた。しかしどう見ても、なかなかにド下手くそだ。どうしてもドラえもんにならない。

 

 手相は一切無視。私は、自分自身の才能を見限ることにした。

 

見上げた満月のように、まんまると。

 

 以下、この記事に出てくる"彼"とは、一年前の私に大きな影響を与えた人物であり、そして、私が人間として男性として愛するヒトである。私と彼の関係は、ちょうど一年前くらいにとっくに終わっている。一度も連絡は取っていない。それでも変わらず、私は彼のことがたまらなく好きで、この一年間で様々な出会いがあったものの、気持ちは誰にも一瞬たりとも動かなかった。

 

 行動するにも思考するにも、気がつけば彼ならこうするだろうと考えるのが自然になった。先日なかなかにムカつく出来事があって、思わず「わ〜!」っとなった。こんな時、彼ならきっと、怒るのは疲れるからと諦めて、鏡に映った自分は味方だから大丈夫などと言い、BUMP OF CHICKEN的思考で乗り越えるんだろうと思ったので、私も「わ〜!」を、鏡の中の自分と共有し、感情を強制終了させることに成功した。

 

 また、先日人と話をしていたら全く会話が噛み合わなくなって、「わ〜!」っとなることがあった。彼に出会うまでの私だったら、相手がぐうの音も出なくなるまで徹底的に論破する鬼畜人間だったが、彼はそんなことをしても疲れるだけだし悲しくなっちゃうからと、そっと画面を閉じて会話から逃げる人だった。今ではそれも一つの手というか、自分も相手も傷つかない最良の選択というか、そんな気がしているので、全てが全てとはいかないが、私もそれなりにうまく戦線離脱できるようになって、少し生きやすくなったと感じる。

 

 彼の何が好きなのかと問われれば、それはもう全てなのである。彼がやること成すこと、全て私にとって正しいものだった。彼が正義だった。今も、そしてこれから先もきっとそれは変わらないんだと思う。

 

 いつだったかふたりで眠くなるまで、彼のスマホの中のメモに書き溜められた名言集を眺めていた。その中に、BUMP OF CHICKENの「RAY」の歌詞「 寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから 」の一文を見た。彼は、過去に恋人に振られたショックで就活に身が入らず、内定を貰わないまま大学を卒業したという過去がある。その後アルバイトとして某最大手出版社で働きはじめ、数年後に異例の正社員登用にこぎつけた。多分新卒入社なんて無理だっただろうからと、彼が淡々と話していたことを覚えている。彼は、とても繊細な人だった。

 

 彼と出会う少し前から、私も出版業界に行きたいと漠然と考えていた。彼と出会い、仕事の話を聞いていくうちに、出版業界の楽しさに気づかせられたり、この世界は自分に向いているかもしれないと、漠然とではなく真剣に考えるようになった。そして、私は彼と別れた。これで非常に落ち込むことになるのだが、何の因果か、その後周囲からあれだけ無理だと言われていた出版業界への仲間入りを果たすことになるから驚きだ。彼と違って新卒入社にはなるが、恋人に振られどん底に落ち、そこから運良く出版業界に飛び込んでしまうというなかなかに完璧な彼ルートを辿ってしまった。ここまで寄ってくるとまじで自分がストーカー以上にヤバい奴なんじゃないかと思うところもあるが、同じ会社ではないだけ良いと言い聞かせることで、自己解決することにした。

 

  彼は最後まで、私のことを一度だって否定したことは無かった。私が出版業界に入りたいと話したとしても、きっと「大丈夫だよ」と言ってくれたんだろうなと考え、そうしてなんとか頑張ってこれた。

 

 彼はもう隣に居ない。それでも私は彼のことが大好きだ。仕事への姿勢も、人との向き合い方も、生き方も、仕草も、言葉も、雰囲気も。10歳近く年下の私にも丁寧すぎるくらいの敬語で話しかけ、年上も年下も同じ人間なんだから同じように接したいと自然に口にできる彼のことを、本当に心の底から尊敬している。そして、私をここまで導いてくれたことにとても感謝している。確実に、彼との出会いが、私の人生を変えてくれた。

 

 彼には、会おうと思えばきっと会える。正直私は会いたくなる。しかし私たちは、偶然に偶然が重ならない限り、もう二度と会うことはない。彼はレスポールジュニアのイエロー、私はレスポールジュニアの赤を手に、異なるコードを弾いていく。

 

 何年経ったら、彼に追いつけるだろう。私は私で、ゆっくり自分のペースで、丸くなっていこう。初デートの帰り道に見上げた満月のように、まんまると。綺麗ですねと思わず口にしてしまうくらいに美しく。そして、私が彼とは別の誰かに恋した時、彼が私にしてくれたようにたくさんのものを、私も相手に与えられるような、そんな人になっていたい。

 

 

おめでとうって言っとくれ

 

 

最近になってようやく就職活動が終わり、今までお世話になってた方や、心配してくれた方々へ、進路の報告ができるようになってきた。

 

その度に「おめでとう」の言葉をたくさんいただいている。嬉しい。とても嬉しい。何度、何人に「おめでとう」と言われようと一向に感動が薄まることはなく、一連の活動に疲れ切っていた心にひとつひとつが深く、確実に染み渡る。

 

  

つい先日のことである。しばらく連絡を取っていなかった知人から連絡が来た。そういえば「終わったよ」って報告してないな、と思い、私はすかさず就職活動が無事終わったと報告をし、おめでとうって喜んでくれるかな...とワクワクしながら、既読がついた画面を眺めていた。

 

「なに?出版社?」

 

返ってきた返事はこれだけだった。

 

あれ、おめでとうは...?

 

もしかしたら続きがあるかもしれないと思い、待ったものの、この質問を最後に向こうからは何も送られてこなかった。

 

そして、私は相手の質問に答えず、この記事を書きなぐり始めた。

 

 

「志望の業界に行けなかったとしたら、おめでとうなんて言っちゃいけないな...」という心理が、もしかすると働いていたのかもしれない。だとしても、だとしてもである。

 

せめて、お疲れ様って労って欲しかった!あわよくば、頑張ったね、偉いね、よしよ〜〜し!ってされたかった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

なんて。就職先が見つかったってのに、子どもみたいなことを言ってみる。そして拗ねている。精神年齢診断、やってみると自分は大体小学校低学年レベルらしいので、許されて欲しい。

 

人生において祝ってもらえる機会も、そうそうないしね。学年上がっただけで祝われてたあの頃が懐かしいです。ココも数少ない、祝われるチャンスですよね。存分に堪能したいです。

 

 

VSチャラい人種

 

 

おおよその運動部出身者は「練習試合」というものを経験したことがあると思う。かく言う私も学生時代の約7年もの間「ソフトボール部」に所属し、これまで数多の練習試合をこなして来た。場合によっては相手校の選手と仲良くなったりする人もいるそうだが、あいにく私は極度の人見知りであったため、相手校の選手とそういった関係を築きたいだなんて一度も思ったことは無い。

 

今回は、高校一年の春。私が入部したての新米部員だった頃の話を振り返ってみたいと思う。

 

学年でソフトボール部に入部したのは私一人だったこともあり、私は部内でひとり行動においての頭角をメキメキと現しつつあった。(まあまあ学校でもひとり行動が目立っていたが、話すと長くなるし悲しくなるので割愛する。)

 

初めは唯一の新入部員である私を不憫に思った3年生の先輩が寄ってきてくれ、輪の中に入れて可愛がってくれていたのだが、私が3年生に囲まれていたりすると、2年生の先輩達が裏でやや私に対して攻撃的になっている気がして、ある時期を境に、私の独断と偏見で、身の保身のため3年生と距離を適度に置くことにしていた。

 

5月頃だったと記憶する。練習試合ということで、他校が我がグラウンドに乗り込んできた。そこそこ強かったと記憶するが、見た目もまあまあ強かった。要するにチャラかったのだ。

 

私はチャラい人種が大の苦手だ。自分がそういった人種と到底かけ離れた人間だということも勿論あるが、一番の理由は私のことを小中とイジメてきたのがまさにチャラい部類の人間だったからである。もうこれはトラウマだ。カースト制度上位に君臨するチャラい人種には二度と関わりたくないとの思いで、私はチャラい人種(馬鹿)がいないであろう進学校に入学したというのに、何故こんな天気の良い休日に出くわしてしまったのかと、絶望の淵に立たされた思いであった。

 

絶対に目を合わせてはいけない。絶対に、ヤツらの視界に入ってはいけない......!!

 

そんな面持ちの中、先輩達VSチャラい人種の練習試合を数時間に渡って見守った。新入部員だったため、補欠であった私は自分の島(ベンチ)から離れずに済む、安全圏に留まることを正式に許されていたのだ。

 

試合が終わり、午後の再戦に備えてお昼休憩を取ることになった。チャラい人種との交流タイムもあと残すところ半分。接触なんて絶対にないであろうから、これはもしかしたら乗り切れるんじゃないかと希望の光が指してきたその時、相手校のチャラい人種数名が私を捕らえた。

 

「すみませ〜ん!トイレどこですかァ?」

 

お手洗いの場所を聞かれた。まさか話しかけられるなんて思ってなかったので、瞬間私はチビるかと思った。

 

自分から行かなくとも、相手が寄ってくる。そりゃあ、そんなパターンもあるわ。

 

ビックリして尿意の増した私は、何を考えていたのか「あ、じゃあ一緒に行きましょうか」と、咄嗟に連れションのお誘いをしてしまった。

 

頭の中では己に対して「バカヤロー!!!!!」の、自責の嵐である。「トイレでシメられる!!!」ととんでもない未来予想図を描いている太宰もいた。

 

「おなっしゃーーす!!!」

 

チャラい人種がゾロゾロと私の後ろをついてくる。傍から見たらこれは『虎の威を借る狐』状態になっていないだろうかと半ば心配になったが、よくよく考えてみれば別にえばり散らしたい相手が休日の校内にいた訳では無かったため、私は自身が『捕虜』の立ち位置に落ち着くことが無難であろうと結論づけることとした。

 

捕虜こと私は、連行されている道中、チャラい人種をグラウンドから最も近いトイレを案内し終えた後、別のトイレに逃げる作戦を企てていた。

 

「着きました、ここです」そう言い残して、私はそそくさと逃げる作戦だった。だったのだが、ここでチャラい人種のうちの3人程が、目的地に着くなり私を囲んだ。

 

しっ、シメられる〜!!!

 

心臓がキュッとなった。死を覚悟したのも束の間、チャラい人種校の中でもキャプテンの肩書きを背負った、最もヒエラルキーの高そうなギャルが口を開いた。「あの、めっちゃ可愛いよね!!」

 

?????????????

 

「え、あ、あの、誰が、ですか?」「あなた!そっちのチームで一番可愛いなってみんなで話してたの!名前教えて!私は〇〇!」

 

これはまさかの展開だ。散々「ブス」「キモイ」「ガリ勉」と私の事を蔑んでいた人種に「可愛い」と言われた。

 

「あの、からかってます?」念のために確認してみた。

 

「ほんとほんと!ずっと話したいと思ってたの。ねえ、ウチらタメなら敬語いいよ」「えっ、あっ、あの、わあ、まだ一年生です...」

 

チャラい人種が全員驚きのリアクションをみせた。それを見て、私も驚く。

 

「そんなに老けて見えますか...」「いや!違くて、そっちのチームの中で一番チャラそうだったから、てっきり3年生なのかなって思って!ってか、訛りかわいい〜!!!『わあ』って自分のこと?かわいい!!!もっと話して!!」

 

わ、私が、チャラい...だと..........?

 

そんなこと言われる日が来るだなんて思ってもみなかった。今日はいつものごとくスッピンだし、ユニフォームもあまり気崩さずに身につけていたつもりだ。一体何を持ってしてこの人達は私に「チャラい」のレッテルを貼り付けたのか...。

 

ここで私はあるひとつの方程式を発見した。私が可愛いかどうかは別として、可愛い人は「ブス」「キモイ」と言ってイジメられる対象にはなり得なかった。つまり、A=BかつB=CならばA=Cの法則に則ると、可愛い人=イジメられないかつイジメられない=チャラい人種ならば可愛い人=チャラい人種、になるという理論は別しておかしくない。

 

チャラいと言われるのには若干抵抗感があったが、人から「可愛い」と言われ慣れていない私はまんまと彼女達に堕ちた。

 

その後私は「訛ってみて!」の無茶振りにそこそこ答えながらも、彼女らのちょっとヤバそうな彼氏の話や、昨今のファッションについての説話を、お昼休憩中永遠と聞かされた。これまで体験したことのない異質極まりない空間ではあったが、気がつけばそれなりに楽しんでいる自分がいた。

 

午後からの試合では、私も一瞬守備で登場させてもらえる機会があった。昼食タイムに体力を削がれていた私に緊張する力も残っていなかったため、気だるげに守備についていたのだが、チャラい人種校の選手が私に対して熱い声援を送ってくるという小っ恥ずかしい事態となってしまった。どうやら相当好かれたらしい。ここまできたら馬鹿にされてるんじゃないかと思える人達もいるかもしれないが、本当に、まじで一生懸命応援してくれていた。

 

あの時の恥ずかしさが上回り、私の中には勝敗の記憶なんて1ミリも残っていなかった。ただ、チャラい人種校の3年生達が、帰りのバスの中からひたすら私に向けてブンブンと手を振っていたことだけは鮮明に覚えている。私が振り返すと「きゃ〜!!!」と黄色い歓声が挙がったため、自チームの先輩達からアイドルかとツッこまれた。

 

チャラい人種に対する偏見は、大学生になった今も変わりはない。少しあるとするならば、「チャラい人種」ではなく「パリピ」と呼ぶようになったことと、そんな人種の中にも、話せば分かり合えて、仲良くなれる人達がいるかもしれないと思えるようになったことくらいである。

ルールに順が正義

 

 駅のホームで電車を待っていた。車両のドアの目印が足元にある。私はその線を目印に、一番乗りで並んでた。

 

 5分くらい経った。そこに女がやってきた。女は線を無視して、しかし私の右隣にピタリとついて並んでいた。この女は何のつもりだろう。 不可思議な気持ちで満ち満ちながらもスマートフォンを弄って、電車を待つ。

 

 しばらく経つと、右後方に別の女の姿を捉えた。振り返って確認すると、確かに新規の女がいた。右隣の不可思議な女の後ろに、何食わぬ顔で並んでいる。

 

 何故だ。目印の線は私の前に引かれているのだぞ。こいつらには見えぬのか。

 

 私は気持ち半歩後方に下がった。ほら、線を見ろ。ここにあるぞ。ほれ、見ろ見ろ。線はここだ。

 

 その後も来る人来る人、私の後ろではなく、皆右隣の女を先頭にして並んでいく。こうなってくるともう、おかしいのは独りぽつんと立ってる私なのではないかと思えてくる。周りの方こそ、私に対する不可思議な気持ちで満ち満ちているのかも知れない。

 

 やっと電車がやってきた。大量の人が電車から流れ降りてくる。ここは階段近くのドアだ。最も混み合うスポットである。

 

 そんなのお構い無しと言わんばかりに、大量の人員の先頭に並ぶ右隣の女は、人の流れに逆らって一目散に車両に飛び込んだ。

 

 「ずるい!」私も女の後を追いたい衝動に駆られた。しかし、自分の頭の中に勝手に流れる「降りるお客様を先にお通し下さい」のアナウンスを無視出来ず、モヤモヤする気持ちを抑えながら最後まで待った。客が揉みくちゃになりながら降りてくるのを、時折ぶつかりそうになりながらも、じっと待った。

 

 やっと車両の中に滑り込み、空いている席を探して見渡してみたが、全て埋まってしまっていた。例の女は、呑気にスマートフォンを弄って一息ついている。

 

 順番なんて関係ないのか。ルールは破るものなのか。他人を気遣う精神を忘れているのか。

 

 席に座って一息つけるのが勝ちだとするなら、悔しいが右隣に並んでいた女の優勝である。彼女こそが、正義である。

 

 白旗を持たされた腕をだらしなく垂らし、私は別車両を目指してトボトボと歩みを進めた。

 

 あの女が正義なわけがあるか。あの女に天罰が下りますように。神様頼みますぞ。先にルールを破ったのはあの女です。私に白旗を上げる理由はございません。どうかあの女に天罰を。周りを惑わし、私をおかしな奴に仕立てあげたあのクソ女に。どうか、どうか。

 

 

世界の一片に彼がいる

 

 「ピコピコ!」LINEの通知が鳴る。すぐに返信するのは面倒なので、スマートフォンのホームボタンを押し、誰からの連絡なのかだけ確認する。バイト先からであった。内容は、シフト交代依頼のものらしい。

 未だにシフト交代をするたびに、私はかつての恋人を思い出す。彼は、アルバイト先で出会った先輩だった。

 

 憧れの先輩と恋をした

 仕事が出来て上司からも信頼されていた彼は、当時一番の新人で失敗ばかりの私にとっての憧れだった。厳しいことを言うし、何を考えているかわからないし、怖いと思っていたところも正直あった。しかしそんな彼からいきなり食事に誘われた。天高らかにガッツポーズを突き上げる自分と、単に個人呼び出しで説教されるんじゃないかという恐怖心にビクつく自分がいたが、蓋を開けてみればそれはたちまち素敵な彼との初デートの思い出となった。年上の男性とレストランで食事をしてご馳走になるなんてと、それだけでも大人になった気がしていた、子どもな私であった。とても舞い上がった。手を繋ぐより先にキスをした自分が、大人の恋愛をしているんじゃないかと思った。バイト先の同僚、後輩達にも気難しい人とされているその人が、今自分の前で、ぶきっちょな笑顔を見せている。自分だけしか知らない世界を垣間見ている背徳感に、呆れるほどに酔いしれた。

 

 彼との大きな喧嘩

 彼と付き合って数ヶ月。私はいつまで経っても新人だった。待望の、次なる新人が入ってこない。しかし先輩達に可愛がられて、何とかやっていた。彼に唯一文句を言えるのが新人の私という事に対し、散々いじられたりもしていたが、それでも誰一人として私と彼の関係に気づいていなかった。

 彼との関係も良好に月日は流れていった。私の大抵のわがままも、彼がきいてくれていたからだ。しかし、そんな彼と私は大げんかをした。

 ある月、バイト先のLINEではシフト交代依頼が頻繁に飛び交っていた。みんな学生であるが故、各々事情があった筈だ。私はその時大学1回生。皆さんよりは些か進路に余裕があったし、何より一番後輩であったこともあり、自分が先輩方のために尽力を尽くさなくてはと思った。片っ端から、可能な限りシフト交代の依頼を受けることにした。それに、彼は怒ったのだ。

 

 「君は馬鹿なのか」

 私が覚えている限りの、彼の言い分はこうだ。

 そんなにバカみたいにシフトに入って、君は馬鹿なのか。計画性がないのか?これじゃ君の休みがなくなるじゃないか。新人の君がむやみやたらにシフトのカバーに入ろうとしても、体調を崩してもっと周りの人に迷惑をかけることになるかもしれないんだぞ。いいか。君が苦しまなくても、シフトの変更を依頼することになったそいつらの管理能力不足が招いた事態なんだから、そいつらが苦しむべきなんだ。自己責任ってやつだ。君がいまそうやって甘くすると、味をしめてまた君にすがってくる。悪循環だ。こうゆうことはやめろ。無視しろ。君が困っていても、そいつらはどうせ無視する。そういう奴等だ。

 

 彼への尊敬心が消え失せた

 この言葉を、バイトの帰り道に直接言われた。その時私がどういう行動に出たのかは思い出せないが、悲しみと怒りと、いろんな感情がぶわっと込み上げてきたことだけは生々しく覚えている。「この人は何を言っているんだ?」とも思った。私は彼とその後もお付き合いを続けることにはなるのだが、今思えばこの時すでに私の彼への気持ちは、帰り道に置いてきてしまっていたのだろう。

 冷めた。私の彼への尊敬心、恋心も勿論。彼は一体どういう人間なのか、見失ってしまった。私にはわからなかった。彼の考えが、到底理解できなかった。

 私の苦しみとは何なのか。彼は私の肉体的苦痛を案じてくれたようであったが、私には困っている先輩方を見ないフリして手を差し伸べなかったに対する罪悪感の念を抱くことになるという精神的苦痛の方が、よっぽど苦しく思えた。彼の言葉が、わからなかった。

 

 当時の彼と同じ年齢になった今

 今、彼と同じ歳になってみて思えるのは、彼の性格上、あれは本当に私のことを案じての言葉だったのだと思う。まあ言葉の8割くらいは本心なんだろうが。

 彼の言葉通り、その後シフト交代の依頼は真っ先に私の元へ回ってくるようになっていたし、私の変更の時、みんながみんな快く引き受けてはくれなかった。休みがなさすぎて体調を崩したこともあった。実際問題、彼の言葉は的中しまくりだった。しかしその度に彼のことを思い出し、「ほら、だから言ったじゃん」等と死んでも言われてたまるかと自分を鼓舞して頑張った。認めたら負けという、よくわからないポリシーが当時はあった。

 彼は大人だった。私よりたくさんの経験をし、広い世界を知っていた。対して私は子どもだった。大人の彼について行って、大人になった気でいたただの子どもだった。

  そんな私のことを「優しいところが素敵だよ」と讃えてくれる人もいる。認めてくれる人もいる。私の考えを馬鹿と一層せず、尊重してくれる世界がある。

 私は今、あの時より少し広い世界を見ている。彼が世界の全てではない。ほんの一片を見せてくれた、ただそれだけである。

 

 数年越しに響いています

 先程のLINEの連絡に対し、シフト交代の日にちを確認し、他に代われそうな人間がいないことを確認してから「その日空いてるから代わりに入るよ」とグループラインにメッセージを送る。

 後輩から「ありがとうございます」のメッセージと可愛い、スタンプが送られてきた。

 今では私もバイトの古株だ。可愛い後輩のために甘やかしてしまう先輩になりつつある気がしなくもないが、今でもそこはやっぱり精神の安定を守りたかった。

 ただ、他にも代わってくれそうな人がいそうな時には周りの出方を見て、それで出てくるのであれば私は休んで自宅でのんびりしようと考えるようにはなった。この瞬間、今でも私は彼のことをふと思い出してしまうのである。