dazai

太宰のゆるゆる生活日記

雀の盆バー(前編)

 

 

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 こちらは、私が高校3年生の夏に保護した雀の雛です。名は「盆バー」と言います。

 

 お盆に、父方の実家の墓参りに行ったとき、盆バーに出会いました。あ、ネーミングセンスに関するバッシングはおやめください。おったり出会ったから、盆バーなんです。しっかり心はこもってます。

 

 盆バーと私が過ごした時間は、たったの24時間程度でした。

 

◇◇◇

 

 あの日、暑さに滅法弱い私は、自分なりの南無南無を先祖に決め込むなり涼しい場所を求めて墓地をさまよっていました。なかなかしっくりくる場所が見つからず、今にもへたり込みそうです。夏の暑さが路面を熱し陽炎がゆらりと揺れる中、私は、なにやら小さくバタバタとうごめく物体を肉眼でとらえました。

 

 おそるおそる駆け寄ってみると、なんと可愛らしい雀ではないですか。こんな間近で雀を見ること自体初めてだった私は、生雀にめちゃくちゃ興奮し、はじめはのんきに「飛ばないの?歩くのが好きなの?」等と話しかけていました。

 

 今まで出会った雀たちは駆け寄るとすぐに逃げていったのに、この雀はバタバタもがくだけで一向に飛ぶ気配がありません。空気の読めない私でも、さすがにこの辺りから事態の異様さに気が付きました。――この雀は、怪我をしている。

 

 昔、雀取りをしていた同級生の博子ちゃんが目の前でお母様に「それは犯罪だよ」と怒られていたのが衝撃的過ぎて鮮明に覚えていた私は、この目の前の雀を保護していいのかわからず、とりあえずスマホで「雀 保護」と打って他の事例を求めはじめました。

 

 「チュンチュン!!!」

 

 一体、どれほどの時間が経っていたのでしょう。突然、激しめのチュンチュンが聞こえました。ビビりの私はその時点でかなり身体をびくつかせましたが、その直後足元にいたはずの雀が目の前からいなくなっていたことに、さらに驚きました。

 

 「チュンチュン!!!!!!!!!」

 

 悲鳴にも近いような鳴き声のする方へと向かいます。人の家の納屋です。これは入ったら怒られるなあと一瞬ためらわれましたが、尋常ではない「チュンチュン」が聞こえるので、意を決して中へ。

 

 そこにいたのは雀と、そして猫でした。猫は非常に危険です。母方の実家にいたママという猫は、ネズミだけでなく雀もよく狩ってきました。猫は雀を食らいます。

 

「目の前で尊き命が狩り取られる瞬間を目撃したLJKサマー」にはしたくなかったので、ビビりながらに猫と対峙してみました。いや、獲物を獲ろうとする猫って怖いんですね。もともと犬派だったんですけど、トラウマになるくらいには怖かったです猫。

 

 どうやって戦ったかは思い出せなかったんですけど、いつの間にか私は親戚一同に囲まれて、この雀をどうするつもりかを尋問されていました。とりあえず、まず真っ先に私の耳元に届いた母親の「雀は雑菌だらけだからはやく返してきなさい」という心無い言葉にはむちゃくちゃキレました。お前の血は何色だよ。

 

 その後、両親から雀保護の許可を得ることに成功したものの、2日後には 私がオープンキャンパスのために東京へ向かわなければいかなかったことから24時間以内という制限付きで、保護することとなったのでした。

 

 当時は相当焦っていたので、これが犯罪なのかどうかは結局調べず終いでしたがね。(後々ヤフーの知恵袋等で調べてみると法律違反ではないことがわかったので、今こうしてブログにしたためています。)

 

◇◇◇

 

後編へ続く。

 

 

あけましておめでとうございます 2018

 

 

 新年一発目、記事を更新しようとPCを立ち上げたら、いきなり画面が真っ暗になり動かなくなりました。また、年が変わって最初に見るという初夢がですね、「あ~これ、なんだっけ。あれ、あれだよ、あ~思い出したい」ってひたすら記憶の糸を手繰り寄せたがるというクソしょうもない内容でした。2018年が不安です。

 

 改めまして、あけましておめでとうございます。日付が変わる瞬間は、眠る愛犬に執拗に絡みつきながら迎えました。「今年もよろしくね」と私があいさつしたとき、申し訳程度に愛犬は白目を見せてくれてた気がします。律儀なワンワンなので。

 

 昨日知人から「一年の反省と来年の目標を考えてください」とメッセージをもらいました。ちなみに毎年反省しないクソ人間オブザイヤーに堂々ノミネートしているような人間なので、2017年に関してもそんなに反省していません。また、もしひとつだけドラえもんの秘密道具がもらえるとしたら?といった質問では「四次元ポケット」と迷いなく答える人間ですので、目標を語らせても「とにかく平和に過ごす」と包括的な、ずるいことしか言いません。今度人が引いてきた頃にでも初詣に行って、神に平和の提供をお願いしてきます。世界平和じゃなくって、自分近辺の平和ね。世界は神にも無理でしょう。

 

 2017年、反省しかけたことのひとつに「就職活動」がありまして。なんやかんやで今の会社に内定をいただけたわけなので結果としては良いんですけど、自分が相当ダメな人間なのかなと自尊心を傷つけられた1年になりました。

 

 昨年末の会社の忘年会で、自分のことを面接してくれたようなお偉い方々が数人同席されたので、酒の勢いで聞いてみたんです。「どうして自分を採用してくれたんですか。ほら、自分変な作文(ド下ネタ)を提出してしまいましたし、SPIもきっと点数めちゃくちゃ低かったですし…」と。先輩方から勧められること3本目に手をかけている頃だったので、私がそこそこ失礼な言動をしていたとしてもしょうがない。

 

 「太宰さんは本当に変な子だったね。面接しててもそれはわかるし、作文もまあ変なこと書いてくるし、SPIの点数は確かに酷かったし。なにより性格検査が異常者みたいだったよ!詳しくは言えないけど!わはは!」

 

 お偉い方が、ストロングゼロを片手にこう言い放ち、それを聞いた周りの方々も「あ、今年の変人枠なんでしょ」「っぽいわ~」と、次々に同調していく始末。事態を飲み込みまとめると、私は変な奴だから採用された、ということです。「変な奴が編集者のほうが面白い本を作ってくれそう」という言い分だそうで。

 

 人間性に問題ありという点は変わらないんですけど、そんな自分に期待して受け入れてくれる場所があって、その場所と巡り会えたということは、本当に幸福なことのように思うんです。なので結果オーライで、やっぱりこの案件は、反省しません。反省しないクソ人間オブザイヤーにノミネートされている人間なので。

 

 巡り会いに関しては、人にも言えます。2017年は、例年にも増して素敵な出会いに恵まれたなあと思います。あなたです、あなた。このブログを見てくれているあなた。

 

 こんなブログまでチェックしてくれるあなたは、きっと私のことが少し好きです。あら、気付いてませんでした?ほら自分のことは意外と自分がよく見えてないとも言いますし。…まあ好きじゃなかったとしても、ちょっとは気にかけてくれてるってことなんだと思うんです。ありがとうございます。うん。...なんだか自分で言ってて恥ずかしくなって来ちゃいました。(逃げ恥)

 

 今年は昨年以上にブログの更新を頑張る予定です。書くことが生業となったからには、よりスキルの向上を目指したいので。とか言いつつ、働き始めると蓄積されるであろうストレスを全力でここにぶつけるつもりです。付き合ってください。

 

 それではみなさん、2018年も、よい1年にしましょう。太い人間関係を築き、短い1年だったと感じてもいいから美味しかったなあと振り返られる、そう、うどんのような1年に。

 

 

我が畏友

 

 

 大変恐縮なことに「文章を書くのが上手い」と褒められたり、「上手い文章を書くコツはあるか」と問われたりすることが、ほんのたまに、あったりする。ほんとにそんなことないのにそんなことを言われると、恐さで縮こまってしまいそうである。

 

 現に、前回の「ブログ1周年企画」で過去の記事を読み返してみたが、まあ酷い文章であった。目に余るものがあったので、実はこっそり手直しをしてしまった。

 

 また「なぜ出版業界を志したのか」と聞かれることもある。それに関してはぶっちゃけてしまうと、冒頭で書いたようなことを周囲から言われて、なんだかその気になっちゃっただけのことである。ちなみに読書は苦手とする。漫画の方が好き。

 

 世の中の文章が上手い人ランキングというものが存在するとしたならば、恐らく平均よりはちょっと上くらいかなってのが私のレベルであろう。

 

 小学生の頃、県内の詩のコンクールでなんだか良い賞を貰ってテレビで朗読させられたことから始まり、県内の作文・詩・短歌俳句の大会では毎回何かしらの部門で賞を貰った。その大会は中学生の部もあったので、中学生になってもなお、私は引き続き何かしらの賞に食い込み続けた。

 

 高校生にもなるとそんな大会などなくなり、初めて携帯を持った私はその執筆欲をSNSに捧げるようになった。

 

 先のツイートでも豪語したとおり、不良にいじめられたくないからという理由だけで進学した、地元では一番の進学校のクラスメイト達は皆こぞって頭が良かった。頭が良い人たちに囲まれて過ごした3年間は、私の12年の学生生活の中で最も楽しかった期間だと言っても過言では無い。

 

 話が通じない奴はたまにいたが、ほとんどの人は物分りが良く、そして面白かった。頭の良い人たちは頭の回転も早いのか、授業で覚えた用語やら公式やらを使ってめちゃくちゃ面白いことを言ったりする。ボキャブラリーの豊富さも魅力的であった。

 

 そんな人達の書く文章は面白いものが多く、先日久しぶりに引っ張り出してきた卒業文集や修学旅行記を読んで笑った。

 

 中でも私が一目置いていたのが、同じクラスのとっきーである。入学してすぐ、わたしが「スポーツバック、ピンクなんだ。かわいいね」と馴れ馴れしく話しかけた時に若干引いていたとっきーは、卒業してからも唯一連絡を取り続けてくれる大切なクラスメイトだ。

 

 当時から彼は、我がクラスを通り越して多分学年内でもズバ抜けて面白かった。なんか佇まいからしてシュールだったのだが、それがまんま文章にも現れていた。

 

 GLEE全盛期の頃、私も夢中になって日記を毎日書いていた。頭がお花畑だったので、担任が今日も尊かったとか、そんなくだらないことばかりを書いていた気がする。オンライン上でのみのお友達たちの、私と同等レベルにしょうもない日記が更新されていく中、私はとっきーの日記だけはいつも心待ちにしていた。

 

 私が伊坂幸太郎にハマったきっかけをくれたのもまた、とっきーであった。『砂漠』や『ゴールデンスランバー』、『オーファザー』を貸してもらった。多分、とっきーの文章は伊坂幸太郎に少し似ているんだと思った。だから私も好きになったんだろう。GREEは衰退し、とっきーの日記を読むことも無くなったので、私は今日もこうして伊坂幸太郎の本を読んでいる。

 

 私が思うに、文章の上手い人にはリズムがある。とっきーは軽音楽部で現在もバンドを続ける音楽家であるし、かの有名な太宰治も落語を習うなどリズム感には長けていた。なんかこう、読んでて気持ち良いのである。短い文章だとテンポが良く感じるし、だらだらした文章であったとしても、なんだか人を惹きつけるものがある。

 

 そして何より、ボキャブラリーの豊富さであろう。言葉のチョイスが絶妙なのだ。それにはやはり本を読むのが一番だと思うし、私も苦手と言って逃げている場合ではない。

 

 実のところまだ読んでいない伊坂作品がそこそこ溜まっているのである。これで伊坂ファンを名乗るのも恥ずかしいので、卒論も無事に終わったことだし、少しずつ読み進めようと思う。

 

  タイトルにもなっている「畏友」(いゆう)は、漢字検定2級レベルの漢字なのだが、わたしはこれをさっきまで(わいゆう)と読んでいたくらいの阿保である。ただ、とっきーとはたまに猥談もする仲なので「猥友」でもあながち間違いではないのかもしれない。

 

 読書をすると漢字の勉強にもなるからね。はい、読みます。

 

 

ブログ1周年企画「書きごたえがあった記事ベスト3」

 

 

 わたくし太宰の本ブログ、なんと前回の投稿日が、ちょうどブログ初投稿から1周年の記念すべき日でした。わーい!!!いやあ。よくここまで続けてこれたもんです(自画自賛

 

 さっき何気なくブログの整理をしていたら気が付きまして。自分の誕生日も下手すると忘れるくらいに自分のイベントには無関心なわたくしですので、1周年の祝いも、まあこんなもんです。

 

 1年で書いた記事の数は、合計22本(2017年12月7日までの投稿数)。月2本程のペースでしたが、今年は就活や実習等で何かとバタバタしていましたので。ほんとまあ、こんなもんです。

 

 そこで!1周年を記念して私が独断と偏見で選んだ「書きごたえがあった記事ベスト3」を発表したいと思います。まだ見てないという記事があったら是非ご一読願いたい。第3位から順に発表していきます。

 

 

 第3位 

dazai.hatenablog.com

  自分的にはお気に入りの記事なんですけど、これがなかなか閲覧数が伸びず。この記事を書いた頃は、就職試験で作文(記事)を書く機会が何度かあったので、リハビリのつもりで精力的にブログを更新していました。…といってもたったの4日連続。これでよく1年もブログ続いたなあ。

 

 

 第2位

dazai.hatenablog.com

  作品論を書くという、自分の中では初めての取り組み。先程選定のために読み返していて、こんなん書いてないで卒論書けよバカと思っちゃいましたが、この記事が私の記事の中で最も読まれた記事となりました。そもそも太宰の『燈籠』についての解釈を書いている人が少なかったみたいでね。検索ワード「太宰治、燈籠」で検索をかけると、青空文庫の次にこのブログが羅列されるくらいです。爆笑。

 

 

 第1位

dazai.hatenablog.com

  書いててめちゃくちゃすっきりしました。素直な気持ちで書くってこういうことなんだろうなあって。第3位の記事と同じ時期に書いたものですが、これを書きあげた後はもうしばらく書くのはいいやって気持ちになりました。この記事を書きあげた次の日から教育実習が始まったんですけどね。エロについて全力で語ったあくる日には子ども達から「先生」と呼ばれていました。

 

 ちなみに入社した会社の作文で、この記事の内容によく似たことを書いて私は内定を勝ち取りました。エロは世界を救うとか言っちゃおうと思いましたが、1年前に振られた彼の作った書籍名と酷似してしまうなと思ったので撤回します。

 

dazai.hatenablog.com

  その彼のことが書かれているのが、この記事です。人気が出た記事のひとつ。私にとっても思い入れのある記事となりました。書きながら気持ちの整理がつけられたところも大きかったです。先日横浜のヨドバシカメラで、この彼そっくりの人と出くわしてびっくりしちゃいました。私もその彼もイヤホンコーナーに張り付いていて、棚を見るために何回も互いにすれ違ったわけなのですが、何回も目が合うんです。え?まじで?本人?…にしては当時より太ってね?と心の中はパニックでした。

 

 相手もめちゃくちゃ私の顔を見てくるので、もしやもしやと思ったのですが、そういえば彼が当時「自分は生まれつき太れないからガリガリ」と言っていたことを思い出して我に返りました。夢見すぎ案件。わきまえます。

 

 はい。そんなこんなで発表終了です。1年間続けてとても楽しかったので、引き続き2年目に突入していきます。みなさまどうぞお時間のある時に、ぜひご覧ください。よろしくお願いいたします。

 

 

 

わたしが太宰を名乗る理由

 

 

 私は太宰と申します。ツイッター名も、ポケモンのプレーヤー名も、ショッピングサイトのニックネームも、すべて「太宰」で登録してます。

 

 「太宰ってことは、もしかして太宰治が好きなんですか?」と聞いてくる人が多いのですが、その度に私は「太宰春台の可能性も考えましたか?」と問いたくなります。まあ、太宰治の方で合っているので、いちいち突っかかったりはしていません。

 

 偽名と言われれば偽名でございます。が、「太宰治」の名も、これまた偽名なのです。彼の本当の名前は、津島修治。青森県は金木町に生まれた、作家であります。

 

 私も同じく青森県は金木町に生まれ、育ちました。今の子どもたちなら中2で学習する『走れメロス』を、小6の時点で学ばされました。しかもほぼ自力です。本を渡され、読んで感想を書いてみろという、所謂読書感想文を書き上げるという義務教育と地域学習のコラボレーションによって、地元が生んだ大スターと、私は出会うことになるのです。

 

 しかし若すぎたのか、当時の私には太宰の良さが全くわかりませんでした。『走れメロス』以外の作品を読んでみようだなんて気持ちも全く起こりませんでしたし、なんなら同じ地元が生んだ大スター、吉幾三の方がスターらしいスターなんじゃないかとも思っていました。

 

 あ、今でも勿論思ってますよ。吉幾三のおかげで、私は自己紹介の時にひとネタさせてもらってます。心の底から尊敬してます。感謝、感謝です。

 

 吉幾三への思いを語り始めたら止まらなそうなので、切り上げて次に進みます。

 

 大学進学のために、私は故郷金木町を離れ、横浜に出てきました。初めましての方々に自己紹介を人にする機会も増え、周りの話す標準語を真似ながら、なんとか浮かないようにと繕いました。

 

 しかし、会話に花が咲くのは「青森県出身」と「吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ!』の、あの村出身」というネタ、そして「方言が面白いね」という地元ネタばかり。

 

 さりげなく吉幾三が出てきてしまいましたが、気にしないでください。続けます。

 

 自分のアイデンティティ青森県は金木町にしか既存していないのではないかという不安に、毎夜毎夜駆られていました。

 

 青森が恋しい、帰りたい訛りたい......

 

 そんな時に再会したのが、かの文豪太宰治でございます。書店で『津軽』という、薄い文庫が目に留まりました。手に取りパラパラめくってみると、私が暮らした青森県の爽やかな麦の匂いが、優しく香って私を包み込んでいくような錯覚に駆られました。読んでて心地の良い文のリズム、愛するが故に故郷を皮肉ってみせる洒落たセンス...。その場で、私は太宰に惚れ込みました。

 

 それから、出生地の他に、私と太宰にはいくつかの共通点があることを知りました。親兄弟が優秀で家柄が良かったこと。それに対してコンプレックスを抱いていたこと。闇深いが笑いをとても愛していたこと。お洒落に気を配って空回りしたこと。ちょっとナルシストなところ。大学進学で上京したこと。新聞社を受けたが落ちたこと。作家を志したこと。死にたいと思っていたこと。青森県を愛していたこと。

 

 私が太宰治に親近感を持つのに、そんなに時間はかかりませんでした。辛いことがあったら太宰治の作品を読み、太宰も辛かったんだよなと悲しみに寄り添ってもらい、かと思えばクスッと笑える文章で、いつも暗闇から救ってもらいました。

 

 そうして私は、かの文豪太宰治への尊敬の意を込めて「太宰」を名乗ることにいたしました。これからもきっと、私は「太宰」と名乗り続けて行くことでしょう。余談ですが、いつか三鷹に越したいと思っております。登山をするとなったらうん十万もかけて登山道具を一式揃えちゃうくらいには、形から入る人間なのでね。(登山をしたのはその一回っきりとなりました)

 

 

もう、文系って言うことにした。

 

 

 「文系?理系?それとも体育会系?」

 

 この手の質問を受けると、私はいつも非常に回答に困ってしまう。

 

 今現在の私で考えてみると「文系」と答えておくのがおそらく無難だ。教育学部の国語科専攻であり、また、来年度から出版社に入社することを踏まえれば、人は皆、私を「ド文系」だと思うであろう。

 

 しかし私は、書くことは好きであっても、本を読んだり話したりすることは存外苦手である。人の書いた文章は、殆どまともに読めた試しがない。どうしても、途中で飽きてしまう。また滑舌が非常に悪く、口下手なことも相まって、うまくおしゃべりすることが出来ない。そのため、国語の成績は4の常連であった。

 

 また、中学までの私は、数学・理科が得意であった。好きか嫌いかでいえば断然社会の方が好きだったが、「好きこそ物の上手なれ」のことわざを信じなくなるくらいには、数学・理科の方が圧倒的に出来た。小学生の時には算数で全国1位を取ったこともあり、周りからも理系女になると期待されて育ってきた。そのため、高校受験では数学・理科の試験の得点が×1.5倍で計算される理数科を受験することにした。そして得意科目なこともあり、私は見事合格する。が、そこからが悲劇の始まりだった。

 

 高校の数学、そして理科が細分化された物理、化学、生物が全くわからず、私は周りについていけなかった。理数科ということもあり、クラスメイトは数学・理科が得意な人達の集まりなので、私の出来なさ加減は余計に目立った。理系科目については、センター試験で受験できるのが3つのうち2つのみだったので、必修の化学はさておき3年進学次に、物理か生物、どちらを受験で使うかの選択を強いられた。その選択した科目の授業に参加するというシステムだ。

 

 正直まじでどっちも出来なかったから、教えてくれる先生で決めようと、適当に考えていた。しかし物理の先生に「太宰は、どっちを選ぶんだ?」と聞かれ、「いやあ、迷ってて...」と言いかけたところ、「まさかこの点数取っといて物理はねぇよな?」と、脅しとも言えよう圧力をかけられてしまったので、萎縮した私は泣く泣く生物選択をすることにした。その後、生物の先生にも「え?太宰は絶対物理なんだと思ってた。まじか」と焦られる始末。「改心しますから。何卒」と、なんとか生物の先生を宥めて選択許可を得たものの、私の成績が挽回することは、結局無かった。

 

 そんな私の、高校で一度も4を取ったことがない科目は、何を隠そう保健・体育である。 保健に関しては、まあまあまあ。言わずもがな。察していただけるであろう。そうゆうことだ。関心・意欲は十分!知識もバッチリであった。

 

 人からはよく「のんびり屋」「どんくさそう」と言われたりするので、あまり運動しているイメージをもたれないのだと思う。運動をするのが好きか嫌いかで言ったら嫌いで、得意か不得意かで言ったら得意である。 神はまあ、余計な能力をさずけた。体力テストでは3年間Aを取って賞状をもらった。また毎年行われる競技大会では、自分のクラスに女子が少なかったこともあり、通常ひとり2〜3種目で良いところを、異例の9種目出場で3年間やり通してみせた。ドッジボールで最後に残るのは大体私であったため、各クラスから「太宰を先に殺っちまえ!」等というバイオレンスな叫びが飛び交っていたことを、私は今でも鮮明に覚えている。疲れるのでさっさと当たって外野に行きたいと内心思っていたが、クラス対抗のものなのでと、苦しいながらに頑張って耐えていたものだ。

 

 こうして見ると、なんて自分は中途半端な人間なのだろう。だんだん自信が無くなってきた。こうなったら、昔、占い師に言われたことを参考にしてみよう。

 

 そう思った私は、おもむろに押し入れの中から日記を発掘し、パラパラとめくってみた。そして、2年ほど前の、手相占い師に言われたことを覚えている限りメモしておいたページに行き着いた。

 

 「芸術系の才能に長けていますが、文系でもあり理系でもある。バランス人間です」

 

 ……なんかもう、なんでもいいや。とりあえず「文系」って言っておこう。そうしよう。そう思った。

 

 手持ち無沙汰であったので、試しに絵を書いてみた。しかしどう見ても、なかなかにド下手くそだ。どうしてもドラえもんにならない。

 

 手相は一切無視。私は、自分自身の才能を見限ることにした。

 

見上げた満月のように、まんまると。

 

 以下、この記事に出てくる"彼"とは、一年前の私に大きな影響を与えた人物であり、そして、私が人間として男性として愛するヒトである。私と彼の関係は、ちょうど一年前くらいにとっくに終わっている。一度も連絡は取っていない。それでも変わらず、私は彼のことがたまらなく好きで、この一年間で様々な出会いがあったものの、気持ちは誰にも一瞬たりとも動かなかった。

 

 行動するにも思考するにも、気がつけば彼ならこうするだろうと考えるのが自然になった。先日なかなかにムカつく出来事があって、思わず「わ〜!」っとなった。こんな時、彼ならきっと、怒るのは疲れるからと諦めて、鏡に映った自分は味方だから大丈夫などと言い、BUMP OF CHICKEN的思考で乗り越えるんだろうと思ったので、私も「わ〜!」を、鏡の中の自分と共有し、感情を強制終了させることに成功した。

 

 また、先日人と話をしていたら全く会話が噛み合わなくなって、「わ〜!」っとなることがあった。彼に出会うまでの私だったら、相手がぐうの音も出なくなるまで徹底的に論破する鬼畜人間だったが、彼はそんなことをしても疲れるだけだし悲しくなっちゃうからと、そっと画面を閉じて会話から逃げる人だった。今ではそれも一つの手というか、自分も相手も傷つかない最良の選択というか、そんな気がしているので、全てが全てとはいかないが、私もそれなりにうまく戦線離脱できるようになって、少し生きやすくなったと感じる。

 

 彼の何が好きなのかと問われれば、それはもう全てなのである。彼がやること成すこと、全て私にとって正しいものだった。彼が正義だった。今も、そしてこれから先もきっとそれは変わらないんだと思う。

 

 いつだったかふたりで眠くなるまで、彼のスマホの中のメモに書き溜められた名言集を眺めていた。その中に、BUMP OF CHICKENの「RAY」の歌詞「 寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから 」の一文を見た。彼は、過去に恋人に振られたショックで就活に身が入らず、内定を貰わないまま大学を卒業したという過去がある。その後アルバイトとして某最大手出版社で働きはじめ、数年後に異例の正社員登用にこぎつけた。多分新卒入社なんて無理だっただろうからと、彼が淡々と話していたことを覚えている。彼は、とても繊細な人だった。

 

 彼と出会う少し前から、私も出版業界に行きたいと漠然と考えていた。彼と出会い、仕事の話を聞いていくうちに、出版業界の楽しさに気づかせられたり、この世界は自分に向いているかもしれないと、漠然とではなく真剣に考えるようになった。そして、私は彼と別れた。これで非常に落ち込むことになるのだが、何の因果か、その後周囲からあれだけ無理だと言われていた出版業界への仲間入りを果たすことになるから驚きだ。彼と違って新卒入社にはなるが、恋人に振られどん底に落ち、そこから運良く出版業界に飛び込んでしまうというなかなかに完璧な彼ルートを辿ってしまった。ここまで寄ってくるとまじで自分がストーカー以上にヤバい奴なんじゃないかと思うところもあるが、同じ会社ではないだけ良いと言い聞かせることで、自己解決することにした。

 

  彼は最後まで、私のことを一度だって否定したことは無かった。私が出版業界に入りたいと話したとしても、きっと「大丈夫だよ」と言ってくれたんだろうなと考え、そうしてなんとか頑張ってこれた。

 

 彼はもう隣に居ない。それでも私は彼のことが大好きだ。仕事への姿勢も、人との向き合い方も、生き方も、仕草も、言葉も、雰囲気も。10歳近く年下の私にも丁寧すぎるくらいの敬語で話しかけ、年上も年下も同じ人間なんだから同じように接したいと自然に口にできる彼のことを、本当に心の底から尊敬している。そして、私をここまで導いてくれたことにとても感謝している。確実に、彼との出会いが、私の人生を変えてくれた。

 

 彼には、会おうと思えばきっと会える。正直私は会いたくなる。しかし私たちは、偶然に偶然が重ならない限り、もう二度と会うことはない。彼はレスポールジュニアのイエロー、私はレスポールジュニアの赤を手に、異なるコードを弾いていく。

 

 何年経ったら、彼に追いつけるだろう。私は私で、ゆっくり自分のペースで、丸くなっていこう。初デートの帰り道に見上げた満月のように、まんまると。綺麗ですねと思わず口にしてしまうくらいに美しく。そして、私が彼とは別の誰かに恋した時、彼が私にしてくれたようにたくさんのものを、私も相手に与えられるような、そんな人になっていたい。