dazai

太宰のゆるゆる生活日記

見上げた満月のように、まんまると。

 

 以下、この記事に出てくる"彼"とは、一年前の私に大きな影響を与えた人物であり、そして、私が人間として男性として愛するヒトである。私と彼の関係は、ちょうど一年前くらいにとっくに終わっている。一度も連絡は取っていない。それでも変わらず、私は彼のことがたまらなく好きで、この一年間で様々な出会いがあったものの、気持ちは誰にも一瞬たりとも動かなかった。

 

 行動するにも思考するにも、気がつけば彼ならこうするだろうと考えるのが自然になった。先日なかなかにムカつく出来事があって、思わず「わ〜!」っとなった。こんな時、彼ならきっと、怒るのは疲れるからと諦めて、鏡に映った自分は味方だから大丈夫などと言い、BUMP OF CHICKEN的思考で乗り越えるんだろうと思ったので、私も「わ〜!」を、鏡の中の自分と共有し、感情を強制終了させることに成功した。

 

 また、先日人と話をしていたら全く会話が噛み合わなくなって、「わ〜!」っとなることがあった。彼に出会うまでの私だったら、相手がぐうの音も出なくなるまで徹底的に論破する鬼畜人間だったが、彼はそんなことをしても疲れるだけだし悲しくなっちゃうからと、そっと画面を閉じて会話から逃げる人だった。今ではそれも一つの手というか、自分も相手も傷つかない最良の選択というか、そんな気がしているので、全てが全てとはいかないが、私もそれなりにうまく戦線離脱できるようになって、少し生きやすくなったと感じる。

 

 彼の何が好きなのかと問われれば、それはもう全てなのである。彼がやること成すこと、全て私にとって正しいものだった。彼が正義だった。今も、そしてこれから先もきっとそれは変わらないんだと思う。

 

 いつだったかふたりで眠くなるまで、彼のスマホの中のメモに書き溜められた名言集を眺めていた。その中に、BUMP OF CHICKENの「RAY」の歌詞「 寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから 」の一文を見た。彼は、過去に恋人に振られたショックで就活に身が入らず、内定を貰わないまま大学を卒業したという過去がある。その後アルバイトとして某最大手出版社で働きはじめ、数年後に異例の正社員登用にこぎつけた。多分新卒入社なんて無理だっただろうからと、彼が淡々と話していたことを覚えている。彼は、とても繊細な人だった。

 

 彼と出会う少し前から、私も出版業界に行きたいと漠然と考えていた。彼と出会い、仕事の話を聞いていくうちに、出版業界の楽しさに気づかせられたり、この世界は自分に向いているかもしれないと、漠然とではなく真剣に考えるようになった。そして、私は彼と別れた。これで非常に落ち込むことになるのだが、何の因果か、その後周囲からあれだけ無理だと言われていた出版業界への仲間入りを果たすことになるから驚きだ。彼と違って新卒入社にはなるが、恋人に振られどん底に落ち、そこから運良く出版業界に飛び込んでしまうというなかなかに完璧な彼ルートを辿ってしまった。ここまで寄ってくるとまじで自分がストーカー以上にヤバい奴なんじゃないかと思うところもあるが、同じ会社ではないだけ良いと言い聞かせることで、自己解決することにした。

 

  彼は最後まで、私のことを一度だって否定したことは無かった。私が出版業界に入りたいと話したとしても、きっと「大丈夫だよ」と言ってくれたんだろうなと考え、そうしてなんとか頑張ってこれた。

 

 彼はもう隣に居ない。それでも私は彼のことが大好きだ。仕事への姿勢も、人との向き合い方も、生き方も、仕草も、言葉も、雰囲気も。10歳近く年下の私にも丁寧すぎるくらいの敬語で話しかけ、年上も年下も同じ人間なんだから同じように接したいと自然に口にできる彼のことを、本当に心の底から尊敬している。そして、私をここまで導いてくれたことにとても感謝している。確実に、彼との出会いが、私の人生を変えてくれた。

 

 彼には、会おうと思えばきっと会える。正直私は会いたくなる。しかし私たちは、偶然に偶然が重ならない限り、もう二度と会うことはない。彼はレスポールジュニアのイエロー、私はレスポールジュニアの赤を手に、異なるコードを弾いていく。

 

 何年経ったら、彼に追いつけるだろう。私は私で、ゆっくり自分のペースで、丸くなっていこう。初デートの帰り道に見上げた満月のように、まんまると。綺麗ですねと思わず口にしてしまうくらいに美しく。そして、私が彼とは別の誰かに恋した時、彼が私にしてくれたようにたくさんのものを、私も相手に与えられるような、そんな人になっていたい。

 

 

おめでとうって言っとくれ

 

 

最近になってようやく就職活動が終わり、今までお世話になってた方や、心配してくれた方々へ、進路の報告ができるようになってきた。

 

その度に「おめでとう」の言葉をたくさんいただいている。嬉しい。とても嬉しい。何度、何人に「おめでとう」と言われようと一向に感動が薄まることはなく、一連の活動に疲れ切っていた心にひとつひとつが深く、確実に染み渡る。

 

  

つい先日のことである。しばらく連絡を取っていなかった知人から連絡が来た。そういえば「終わったよ」って報告してないな、と思い、私はすかさず就職活動が無事終わったと報告をし、おめでとうって喜んでくれるかな...とワクワクしながら、既読がついた画面を眺めていた。

 

「なに?出版社?」

 

返ってきた返事はこれだけだった。

 

あれ、おめでとうは...?

 

もしかしたら続きがあるかもしれないと思い、待ったものの、この質問を最後に向こうからは何も送られてこなかった。

 

そして、私は相手の質問に答えず、この記事を書きなぐり始めた。

 

 

「志望の業界に行けなかったとしたら、おめでとうなんて言っちゃいけないな...」という心理が、もしかすると働いていたのかもしれない。だとしても、だとしてもである。

 

せめて、お疲れ様って労って欲しかった!あわよくば、頑張ったね、偉いね、よしよ〜〜し!ってされたかった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

なんて。就職先が見つかったってのに、子どもみたいなことを言ってみる。そして拗ねている。精神年齢診断、やってみると自分は大体小学校低学年レベルらしいので、許されて欲しい。

 

人生において祝ってもらえる機会も、そうそうないしね。学年上がっただけで祝われてたあの頃が懐かしいです。ココも数少ない、祝われるチャンスですよね。存分に堪能したいです。

 

 

VSチャラい人種

 

 

おおよその運動部出身者は「練習試合」というものを経験したことがあると思う。かく言う私も学生時代の約7年もの間「ソフトボール部」に所属し、これまで数多の練習試合をこなして来た。場合によっては相手校の選手と仲良くなったりする人もいるそうだが、あいにく私は極度の人見知りであったため、相手校の選手とそういった関係を築きたいだなんて一度も思ったことは無い。

 

今回は、高校一年の春。私が入部したての新米部員だった頃の話を振り返ってみたいと思う。

 

学年でソフトボール部に入部したのは私一人だったこともあり、私は部内でひとり行動においての頭角をメキメキと現しつつあった。(まあまあ学校でもひとり行動が目立っていたが、話すと長くなるし悲しくなるので割愛する。)

 

初めは唯一の新入部員である私を不憫に思った3年生の先輩が寄ってきてくれ、輪の中に入れて可愛がってくれていたのだが、私が3年生に囲まれていたりすると、2年生の先輩達が裏でやや私に対して攻撃的になっている気がして、ある時期を境に、私の独断と偏見で、身の保身のため3年生と距離を適度に置くことにしていた。

 

5月頃だったと記憶する。練習試合ということで、他校が我がグラウンドに乗り込んできた。そこそこ強かったと記憶するが、見た目もまあまあ強かった。要するにチャラかったのだ。

 

私はチャラい人種が大の苦手だ。自分がそういった人種と到底かけ離れた人間だということも勿論あるが、一番の理由は私のことを小中とイジメてきたのがまさにチャラい部類の人間だったからである。もうこれはトラウマだ。カースト制度上位に君臨するチャラい人種には二度と関わりたくないとの思いで、私はチャラい人種(馬鹿)がいないであろう進学校に入学したというのに、何故こんな天気の良い休日に出くわしてしまったのかと、絶望の淵に立たされた思いであった。

 

絶対に目を合わせてはいけない。絶対に、ヤツらの視界に入ってはいけない......!!

 

そんな面持ちの中、先輩達VSチャラい人種の練習試合を数時間に渡って見守った。新入部員だったため、補欠であった私は自分の島(ベンチ)から離れずに済む、安全圏に留まることを正式に許されていたのだ。

 

試合が終わり、午後の再戦に備えてお昼休憩を取ることになった。チャラい人種との交流タイムもあと残すところ半分。接触なんて絶対にないであろうから、これはもしかしたら乗り切れるんじゃないかと希望の光が指してきたその時、相手校のチャラい人種数名が私を捕らえた。

 

「すみませ〜ん!トイレどこですかァ?」

 

お手洗いの場所を聞かれた。まさか話しかけられるなんて思ってなかったので、瞬間私はチビるかと思った。

 

自分から行かなくとも、相手が寄ってくる。そりゃあ、そんなパターンもあるわ。

 

ビックリして尿意の増した私は、何を考えていたのか「あ、じゃあ一緒に行きましょうか」と、咄嗟に連れションのお誘いをしてしまった。

 

頭の中では己に対して「バカヤロー!!!!!」の、自責の嵐である。「トイレでシメられる!!!」ととんでもない未来予想図を描いている太宰もいた。

 

「おなっしゃーーす!!!」

 

チャラい人種がゾロゾロと私の後ろをついてくる。傍から見たらこれは『虎の威を借る狐』状態になっていないだろうかと半ば心配になったが、よくよく考えてみれば別にえばり散らしたい相手が休日の校内にいた訳では無かったため、私は自身が『捕虜』の立ち位置に落ち着くことが無難であろうと結論づけることとした。

 

捕虜こと私は、連行されている道中、チャラい人種をグラウンドから最も近いトイレを案内し終えた後、別のトイレに逃げる作戦を企てていた。

 

「着きました、ここです」そう言い残して、私はそそくさと逃げる作戦だった。だったのだが、ここでチャラい人種のうちの3人程が、目的地に着くなり私を囲んだ。

 

しっ、シメられる〜!!!

 

心臓がキュッとなった。死を覚悟したのも束の間、チャラい人種校の中でもキャプテンの肩書きを背負った、最もヒエラルキーの高そうなギャルが口を開いた。「あの、めっちゃ可愛いよね!!」

 

?????????????

 

「え、あ、あの、誰が、ですか?」「あなた!そっちのチームで一番可愛いなってみんなで話してたの!名前教えて!私は〇〇!」

 

これはまさかの展開だ。散々「ブス」「キモイ」「ガリ勉」と私の事を蔑んでいた人種に「可愛い」と言われた。

 

「あの、からかってます?」念のために確認してみた。

 

「ほんとほんと!ずっと話したいと思ってたの。ねえ、ウチらタメなら敬語いいよ」「えっ、あっ、あの、わあ、まだ一年生です...」

 

チャラい人種が全員驚きのリアクションをみせた。それを見て、私も驚く。

 

「そんなに老けて見えますか...」「いや!違くて、そっちのチームの中で一番チャラそうだったから、てっきり3年生なのかなって思って!ってか、訛りかわいい〜!!!『わあ』って自分のこと?かわいい!!!もっと話して!!」

 

わ、私が、チャラい...だと..........?

 

そんなこと言われる日が来るだなんて思ってもみなかった。今日はいつものごとくスッピンだし、ユニフォームもあまり気崩さずに身につけていたつもりだ。一体何を持ってしてこの人達は私に「チャラい」のレッテルを貼り付けたのか...。

 

ここで私はあるひとつの方程式を発見した。私が可愛いかどうかは別として、可愛い人は「ブス」「キモイ」と言ってイジメられる対象にはなり得なかった。つまり、A=BかつB=CならばA=Cの法則に則ると、可愛い人=イジメられないかつイジメられない=チャラい人種ならば可愛い人=チャラい人種、になるという理論は別しておかしくない。

 

チャラいと言われるのには若干抵抗感があったが、人から「可愛い」と言われ慣れていない私はまんまと彼女達に堕ちた。

 

その後私は「訛ってみて!」の無茶振りにそこそこ答えながらも、彼女らのちょっとヤバそうな彼氏の話や、昨今のファッションについての説話を、お昼休憩中永遠と聞かされた。これまで体験したことのない異質極まりない空間ではあったが、気がつけばそれなりに楽しんでいる自分がいた。

 

午後からの試合では、私も一瞬守備で登場させてもらえる機会があった。昼食タイムに体力を削がれていた私に緊張する力も残っていなかったため、気だるげに守備についていたのだが、チャラい人種校の選手が私に対して熱い声援を送ってくるという小っ恥ずかしい事態となってしまった。どうやら相当好かれたらしい。ここまできたら馬鹿にされてるんじゃないかと思える人達もいるかもしれないが、本当に、まじで一生懸命応援してくれていた。

 

あの時の恥ずかしさが上回り、私の中には勝敗の記憶なんて1ミリも残っていなかった。ただ、チャラい人種校の3年生達が、帰りのバスの中からひたすら私に向けてブンブンと手を振っていたことだけは鮮明に覚えている。私が振り返すと「きゃ〜!!!」と黄色い歓声が挙がったため、自チームの先輩達からアイドルかとツッこまれた。

 

チャラい人種に対する偏見は、大学生になった今も変わりはない。少しあるとするならば、「チャラい人種」ではなく「パリピ」と呼ぶようになったことと、そんな人種の中にも、話せば分かり合えて、仲良くなれる人達がいるかもしれないと思えるようになったことくらいである。

ルールに順が正義

 

 駅のホームで電車を待っていた。車両のドアの目印が足元にある。私はその線を目印に、一番乗りで並んでた。

 

 5分くらい経った。そこに女がやってきた。女は線を無視して、しかし私の右隣にピタリとついて並んでいた。この女は何のつもりだろう。 不可思議な気持ちで満ち満ちながらもスマートフォンを弄って、電車を待つ。

 

 しばらく経つと、右後方に別の女の姿を捉えた。振り返って確認すると、確かに新規の女がいた。右隣の不可思議な女の後ろに、何食わぬ顔で並んでいる。

 

 何故だ。目印の線は私の前に引かれているのだぞ。こいつらには見えぬのか。

 

 私は気持ち半歩後方に下がった。ほら、線を見ろ。ここにあるぞ。ほれ、見ろ見ろ。線はここだ。

 

 その後も来る人来る人、私の後ろではなく、皆右隣の女を先頭にして並んでいく。こうなってくるともう、おかしいのは独りぽつんと立ってる私なのではないかと思えてくる。周りの方こそ、私に対する不可思議な気持ちで満ち満ちているのかも知れない。

 

 やっと電車がやってきた。大量の人が電車から流れ降りてくる。ここは階段近くのドアだ。最も混み合うスポットである。

 

 そんなのお構い無しと言わんばかりに、大量の人員の先頭に並ぶ右隣の女は、人の流れに逆らって一目散に車両に飛び込んだ。

 

 「ずるい!」私も女の後を追いたい衝動に駆られた。しかし、自分の頭の中に勝手に流れる「降りるお客様を先にお通し下さい」のアナウンスを無視出来ず、モヤモヤする気持ちを抑えながら最後まで待った。客が揉みくちゃになりながら降りてくるのを、時折ぶつかりそうになりながらも、じっと待った。

 

 やっと車両の中に滑り込み、空いている席を探して見渡してみたが、全て埋まってしまっていた。例の女は、呑気にスマートフォンを弄って一息ついている。

 

 順番なんて関係ないのか。ルールは破るものなのか。他人を気遣う精神を忘れているのか。

 

 席に座って一息つけるのが勝ちだとするなら、悔しいが右隣に並んでいた女の優勝である。彼女こそが、正義である。

 

 白旗を持たされた腕をだらしなく垂らし、私は別車両を目指してトボトボと歩みを進めた。

 

 あの女が正義なわけがあるか。あの女に天罰が下りますように。神様頼みますぞ。先にルールを破ったのはあの女です。私に白旗を上げる理由はございません。どうかあの女に天罰を。周りを惑わし、私をおかしな奴に仕立てあげたあのクソ女に。どうか、どうか。

 

 

世界の一片に彼がいる

 

 「ピコピコ!」LINEの通知が鳴る。すぐに返信するのは面倒なので、スマートフォンのホームボタンを押し、誰からの連絡なのかだけ確認する。バイト先からであった。内容は、シフト交代依頼のものらしい。

 未だにシフト交代をするたびに、私はかつての恋人を思い出す。彼は、アルバイト先で出会った先輩だった。

 

 憧れの先輩と恋をした

 仕事が出来て上司からも信頼されていた彼は、当時一番の新人で失敗ばかりの私にとっての憧れだった。厳しいことを言うし、何を考えているかわからないし、怖いと思っていたところも正直あった。しかしそんな彼からいきなり食事に誘われた。天高らかにガッツポーズを突き上げる自分と、単に個人呼び出しで説教されるんじゃないかという恐怖心にビクつく自分がいたが、蓋を開けてみればそれはたちまち素敵な彼との初デートの思い出となった。年上の男性とレストランで食事をしてご馳走になるなんてと、それだけでも大人になった気がしていた、子どもな私であった。とても舞い上がった。手を繋ぐより先にキスをした自分が、大人の恋愛をしているんじゃないかと思った。バイト先の同僚、後輩達にも気難しい人とされているその人が、今自分の前で、ぶきっちょな笑顔を見せている。自分だけしか知らない世界を垣間見ている背徳感に、呆れるほどに酔いしれた。

 

 彼との大きな喧嘩

 彼と付き合って数ヶ月。私はいつまで経っても新人だった。待望の、次なる新人が入ってこない。しかし先輩達に可愛がられて、何とかやっていた。彼に唯一文句を言えるのが新人の私という事に対し、散々いじられたりもしていたが、それでも誰一人として私と彼の関係に気づいていなかった。

 彼との関係も良好に月日は流れていった。私の大抵のわがままも、彼がきいてくれていたからだ。しかし、そんな彼と私は大げんかをした。

 ある月、バイト先のLINEではシフト交代依頼が頻繁に飛び交っていた。みんな学生であるが故、各々事情があった筈だ。私はその時大学1回生。皆さんよりは些か進路に余裕があったし、何より一番後輩であったこともあり、自分が先輩方のために尽力を尽くさなくてはと思った。片っ端から、可能な限りシフト交代の依頼を受けることにした。それに、彼は怒ったのだ。

 

 「君は馬鹿なのか」

 私が覚えている限りの、彼の言い分はこうだ。

 そんなにバカみたいにシフトに入って、君は馬鹿なのか。計画性がないのか?これじゃ君の休みがなくなるじゃないか。新人の君がむやみやたらにシフトのカバーに入ろうとしても、体調を崩してもっと周りの人に迷惑をかけることになるかもしれないんだぞ。いいか。君が苦しまなくても、シフトの変更を依頼することになったそいつらの管理能力不足が招いた事態なんだから、そいつらが苦しむべきなんだ。自己責任ってやつだ。君がいまそうやって甘くすると、味をしめてまた君にすがってくる。悪循環だ。こうゆうことはやめろ。無視しろ。君が困っていても、そいつらはどうせ無視する。そういう奴等だ。

 

 彼への尊敬心が消え失せた

 この言葉を、バイトの帰り道に直接言われた。その時私がどういう行動に出たのかは思い出せないが、悲しみと怒りと、いろんな感情がぶわっと込み上げてきたことだけは生々しく覚えている。「この人は何を言っているんだ?」とも思った。私は彼とその後もお付き合いを続けることにはなるのだが、今思えばこの時すでに私の彼への気持ちは、帰り道に置いてきてしまっていたのだろう。

 冷めた。私の彼への尊敬心、恋心も勿論。彼は一体どういう人間なのか、見失ってしまった。私にはわからなかった。彼の考えが、到底理解できなかった。

 私の苦しみとは何なのか。彼は私の肉体的苦痛を案じてくれたようであったが、私には困っている先輩方を見ないフリして手を差し伸べなかったに対する罪悪感の念を抱くことになるという精神的苦痛の方が、よっぽど苦しく思えた。彼の言葉が、わからなかった。

 

 当時の彼と同じ年齢になった今

 今、彼と同じ歳になってみて思えるのは、彼の性格上、あれは本当に私のことを案じての言葉だったのだと思う。まあ言葉の8割くらいは本心なんだろうが。

 彼の言葉通り、その後シフト交代の依頼は真っ先に私の元へ回ってくるようになっていたし、私の変更の時、みんながみんな快く引き受けてはくれなかった。休みがなさすぎて体調を崩したこともあった。実際問題、彼の言葉は的中しまくりだった。しかしその度に彼のことを思い出し、「ほら、だから言ったじゃん」等と死んでも言われてたまるかと自分を鼓舞して頑張った。認めたら負けという、よくわからないポリシーが当時はあった。

 彼は大人だった。私よりたくさんの経験をし、広い世界を知っていた。対して私は子どもだった。大人の彼について行って、大人になった気でいたただの子どもだった。

  そんな私のことを「優しいところが素敵だよ」と讃えてくれる人もいる。認めてくれる人もいる。私の考えを馬鹿と一層せず、尊重してくれる世界がある。

 私は今、あの時より少し広い世界を見ている。彼が世界の全てではない。ほんの一片を見せてくれた、ただそれだけである。

 

 数年越しに響いています

 先程のLINEの連絡に対し、シフト交代の日にちを確認し、他に代われそうな人間がいないことを確認してから「その日空いてるから代わりに入るよ」とグループラインにメッセージを送る。

 後輩から「ありがとうございます」のメッセージと可愛い、スタンプが送られてきた。

 今では私もバイトの古株だ。可愛い後輩のために甘やかしてしまう先輩になりつつある気がしなくもないが、今でもそこはやっぱり精神の安定を守りたかった。

 ただ、他にも代わってくれそうな人がいそうな時には周りの出方を見て、それで出てくるのであれば私は休んで自宅でのんびりしようと考えるようにはなった。この瞬間、今でも私は彼のことをふと思い出してしまうのである。

 

太宰治『燈籠』感想

 

太宰の作品の特徴の一つとしてよく挙げられるのが女性の語り口調で物語が進行していく「女性独白体」という技法なのですが、それが彼の作品の中で初めて用いられたのがこの『燈籠』なのだそうです。文庫サイズにして10ページ程の短編でございます。

 

語りの主は、貧しい下駄屋の一人娘さき子(24歳)。物語は「言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。」の一文から始まり、「もう、どこへも行きたくなりました。」等と言うネガティブ展開。どうした、お前の身に一体何が起こったのだ。と、胸がザワザワしていく最中、インパクト十分なこの一言が目に飛び込む。ー「盗みをいたしました。」

 

『燈籠』の大体の内容

さき子は自分より5歳年下の商業高校生水野に恋をする。ある夜、水野が友達と海に行くのに打ちしおれていたのを見かね、さき子は盗みをはたらく。男の海水着を一枚盗むのだ。捕まり、交番へ連れていかれたさき子は自分は悪くないと、必死の弁解を試みる。精神病者と思われる程の必死さには、おまわりさんもびっくりである。その後、無事親元へと返して貰えたさき子であったが、夕刊に「万引きにも三分の理、変質の左翼少女滔々と美辞麗句」という見出しで、自分の記事が載ってしまう。さらに追い討ちをかけるように、水野から読後かならず焼却のことと書かれた手紙を貰う。

 

燈籠どころか闇を感じる展開

燈籠要素はどこかと言えば、物語の最後の場面である。恋により、一時は家族より恋を優先し暴走してしまったさき子であったが、それでも家族団欒の風景には代わりない。6畳間の電球を明るいものに取りかえ、夕食をいただく光景に「私たちのしあわせは、所詮こんな、お部屋の電球を変えることくらいのものなのだ」と自分に言い聞かせる場面があるが、さき子のその心は決してわびしい訳ではなく、静かなよろこびが胸に込み上げていた。

 

「恋は盲目」

純粋に読後わたしが真っ先に思った感想がこちら。

ネガティブ感情待ったなし。さき子の恋が本当に典型的であったと思いますが、恋は誠に盲目です。しかもさき子と水野の馴れ初めは、互いに目を患って通っていた眼下の待合室から始まっています。「恋は盲目」のキャッチフレーズ、なかなかいけてるんじゃないんでしょうか(自画自賛)。しかも両者左目を患い、同じく眼帯をつけていた…。たまたまとはいえ、こんな偶然って...。これは確実にラブコメの神がフラグを立てにきているでしょう。ずるい。

 

なにより水野も水野である。「私(さき子)と一緒に散歩などをしているときだけが、たのしい」とか抜かしてくる…。控えめに言っても可愛すぎないか。これにはお姉様方は母性本能くすぐられちゃうでしょう。少なくともわたしは尽くしたくなっちゃいました。

 

まあわたしは年上派ですけど

ともあれ恋に夢中になりすぎて善悪の判断もつかなくなってしまうのは良くありません。総合的にみて、さき子が犯した罪は「悪」になってしまいます。法に触れてしまえば一発アウトです。初読、水野の手紙を読んでいてわたしは「水野てめえ」の思いでいっぱいでしたが、何度か読み返して咀嚼するうちに、水野があそこでさき子を突き放し、目覚めさせてくれたことは結果的に良かったのだと思うようになりました。

 

周囲からの冷ややかな視線に屈することなく、さき子一家が家族団欒の燈籠を灯し続けていけますようにと願わんばかりです。

 

今は両親が自分の家族でいてくれているさき子ですが、いずれ結婚をして、新たな家族を作る時がきっと来ます。その時には盲目になりすぎず、でもその母性溢れる優しさは残しつつ、素敵な人と結ばれてほしいものです。わたしも人のこと言えませんが...。

 

『燈籠』を読んでみたくなったという方は、青空文庫のサイトに本文が載っているので、こちらのリンクからどうぞ。太宰治 燈籠

 

また、書籍では『きりぎりす』という短編集に『燈籠』も収録されていますので、お手に取りたい方はこちらのリンクからどうぞ。大抵書店にも、文庫の新潮社さんの棚に置いてあるはずです。きりぎりす (新潮文庫) | 太宰 治 |本 | 通販 | Amazon

 

 

祭りの季節

 

 車の窓にピタリと虫がくっついてきた。あいも変わらず気持ち悪い。360度どこからどう見ても気持ち悪いが、裏っ側は一際気色が悪い。車の走力に負けず、ツルツルしていて踏ん張りが利かないであろうウインドウにへばりついているその根性にすらも吐き気がする。わたしは虫がとにかく大嫌いだ。

 

よく虫は遥か彼方より地球上のどの生物よりも長く生存し、今後地球に隕石が衝突しようとも生き残っているのもまた虫であると言われている。いずれ人間は虫を食べて暮らして行かねばならぬことになるとせっせせっせと虫料理なるものを開発している。それを得意顔で喰っている日本人をTVショーで見てしまった日にはこの先の将来が不安になり、虫を喰らうくらいならいっそのこと早く死んでしまいたいという願望が、わたしの中で強まったものだ。

 

わたし以外にも虫の根絶を願う人間は多く、むしろそれを願う者はマジョリティにあたるのではないかと思う。「しらべえ」というサイトの調べでは、虫を触れない20代男子は8割だとするデータが確認できる。「男なら触れて当然!」のような風潮は今ではすっかり廃れてしまった。いや、そもそも昔から実は男子も虫が苦手だったのではないだろうか。


このように、我々人類の多くが虫に対し嫌悪感ないしは恐怖心を抱くのには、もしかしたら遺伝子レベルで何かしらのトラブルがあったからなのかもしれない。

 

車の外の生命力の凄い虫を横目に、今度は車内で羽蟻のような、小さな飛ぶ虫に出くわした。そのくらいに小さな虫に対しての恐怖心は微塵もなく、ここぞとばかりにわたしは平手で生命を潰しにかかる。ここでこいつを見逃してしまっては、今後わたし以外の人間のところへ飛んでいき驚かせてしまうやもしれん。もしかしたら子孫繁栄に勤しんでしまうやもしれん。いずれにせよ、ここで仕留めねばえらいことになる。わたしは殺れそうな虫ならば、躊躇いなどしない。道徳の学習指導要領に書かれている生命を尊ぶ何ぞという項目よりも、伝染病を運んで来るやもしれぬ虫を、わたしは公共の福祉のもとに殺すのだ。そうだ、別してわたしに道徳心がないわけではないのだ。

 

お天道様が笑っている。別して非道徳な行いをしているわけではない、公共の福祉のために虫と戦うわたしをジリジリと照らしている。同じくして、わたしを嘲笑わんばかりにひらりと指と指の間を掻い潜り、空中を浮遊する虫が現れた。小賢しい。さっさと潰されてしまえ。

 

ぱちん!顔の前でいただきますのポーズを取る。前席の背もたれ部分を2度叩き、左の内側ウインドウを軽く1度叩く。わたしの動きが生み出す風圧を上手く利用し、ひらりひらりと交わし続ける虫の動きがなんだか身軽で、余計に腹が立つ。今度こそぶちのめしてやる。そこを動くな。待っておれ。

 

数度目の正直といったところか、程なくして虫は生き絶えた。1度の衝撃ではめげなかったため、何度もウインドウのふちの部分を器用に使いながら擦り潰してやった。正直その虫には何もされていない。ただ、わたしの前に現れたというだけであった。虫にカテゴライズされていただけであって、その目の前にゴマ粒のように縮こまった元生命体は、どこぞの虫のように人を刺して死に至らしめる事も無ければ、血を吸って代わりに痒くする分泌液を体内に注入したりするものではなかった。少なくとも、目の前のすり潰された元生命体には、何の非もなかった。躊躇せず仕末をするものの、こうした後の祭りになることはもう恒例行事である。もう、心底面倒くさい。

 

ご先祖様すみません。我々人類は、虫に屈しそうです。そしてわたしはというと、虫と戦うメンタルも無ければ脳もないため、ここにありったけの虫に対する悪口を書きまくった後、何かしらの方法で命を断ってしまいたいと思います。本当に虫が気持ち悪いです。

 

ただ、ギリギリまでは粘りたいと思います。死ぬる勇気も今のところは持ち合わせておりません。姑息ながらも自分が勝てると思った生命体を捻り潰し、わずかな抵抗力を見せ、そうして後の祭りで賑わうことを繰り返しながら、潮時を待ちわびていることに致します。